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by kazuo_okawa

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闘う<人権擁護>!

変な表題だと思われたかもしれないが、死刑制度についてさらに述べる。

死刑は、国家による「殺人」である。
そして、人の生命は、人にとって何もにも代えがたい一番重要で貴重な価値があり、それは国家であっても決して奪ってはならない。

このように言うと必ず反論されるのが、そういう重要で貴重な価値である(他人の)「生命」を奪ったのだからこそ「死をもって償うべし」という意見である。

要するに「目には目を!」である。
「ある価値」を奪ったものには「その価値」を与えない(奪う)。

これは冷静に考えれば、いきなり結論を言っているに等しく、(なぜ「目には目を!」を採用するのかという)根拠が述べられていないことがわかる。
<そういう制度>を選択したというにすぎない。

私は常に思うのだが、ではその「目には目を!」論者が、他の分野においてもそういう世界観をもっているなら(賛否は別として)一貫しているといえる。
つまり
「ある価値」を奪ったものには「その価値」を与えない(奪う)。
「自由の敵」には「自由」を与えない。
「民主主義の敵」には、「民主主義の価値」を与えない。

ここまでくれば表題の意味は分かりであろう。

世界一先進的といわれたワイマール憲法から「ナチス」を生んだ反省から、戦後のドイツは、「ナチス」のような、民主主義の敵には「自由」を与えないことにした。
これが「闘う民主主義」である。

しかしわが国の憲法は「自由の敵」にも自由を与えた。
「民主主義の敵」にも民主主義の価値を共有させている。

「人権の敵」にも「人権」は認めているのがわが国憲法の理念である。
論者が「戦う民主主義」の価値観をもって、教育勅語を敬う戦前回帰型のウルトラ右翼には自由を与えるべきではない、との価値観なら一貫している。

「目には目を!」論者が、果たして他の分野においてもそういう世界観をもっているのだろうか。
つくづくと考えてしまう。

もっともドイツは、闘う民主主義をとりながら、死刑は廃止している!
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by kazuo_okawa | 2018-07-09 22:17 | 司法・ニュースその他 | Trackback | Comments(0)

安倍首相は今国会を「働き方改革国会」だと公言して、「モリかけスパ隠し」のネーミングをしたことは記憶に新しい。


裁量労働制は働き方改革法案の一つである。


今国会の改革とは裁量労働制を拡大しようとするものだが、そもそも裁量労働制とは、実際に働いた労働時間と関係なしに「8時間」働いたとするものであり、つまり何時間働いても残業代は出ない。

私たちは、労働者は際限なく残業が増えていわば「過労死推進」と批判している。

ところが安倍首相は、裁量労働制で働くと、一般の労働者より労働時間が短いと述べていた。

しかし、その根拠がデタラメであったことが明らかになり、安倍首相は撤回して詫びた。もともと法案推進のためのデーターねつ造ではないか、と疑われているのであり、撤回すればよいというものではないだろう。


詳細は省くが、裁量労働制の労働者が一般労働者の労働時間より21分短いという調査結果は、実は、そもそもの質問がデタラメであった。

つまり、一般労働者には、「実際に働いた最長の労働時間」を聞き、裁量労働制の労働者には「平均労働時間」を聞いていたのである。

これでは裁量労働の方が短くなることは誰でもわかる。


ではデタラメ質問の調査結果による、世論の誘導は他にないのか!


そんなことはない。


著名なのが、死刑制度に関する世論調査の誘導である。

日本の世論は死刑制度容認だ、と日本国民自体が思わされている。

では内閣府が5年に一度行っている、死刑に関する世論調査の質問はどのようなものか。

「ア、どんな場合でも死刑は廃止すべきである」

「イ、場合によっては死刑もやむを得ない」

「ウ、わからない、一概に言えない」

この3択から選べという内容である。


明らかに死刑制度容認に導く、不当な質問だろう。


私は拙著「裁判と人権」(一葉社)において、2013年以来その指摘をしている。

メディア・マスコミが今回のデーターねつ造を批判するのは正しい。

しかし、ならば同じように、他の不当な調査についても批判すべきだろう。



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by kazuo_okawa | 2018-02-20 14:40 | 司法・ニュースその他 | Trackback | Comments(0)

年末年始ずっと、拙著「裁判と人権」(一葉社)の改訂作業をしている。

「死刑」に関する記載の箇所で古いデータがあったので差し替えることにした。

内閣府が5年に一度、死刑に関する世論調査をしており、前の版では2010年の世論調査を掲載していたところ、改訂時に最新(つまり2015年)の世論調査を載せることにした。

驚いたことに死刑容認派が、何と約六%も減少している。
無論、職業柄、ニュース自体は読んでいる。
しかし新聞でこのニュースに接したときに「ほほう、減少か」というくらいにしか意識に残らなかったが、今回の改訂作業のため、原典(つまり内閣府の調査そのもの)にあたって驚いた!
実は、質問自体が5年前と変わっている!!

5年前の調査における質問は(ア)どんな場合でも死刑は廃止すべきである(イ)場合によっては死刑もやむをえない(ウ)わからない、一概に言えない、という選択肢である。

今回それが(ア)死刑は廃止すべきである(イ)死刑もやむをえない(ウ)わからない、一概に言えない、という選択肢に変わっている。

これおかしいですよね。

前回の質問は、露骨に(イ)に誘導するものでしょう。
(拙著他で10数年前から、私は批判している。その影響もあったのか、ようやく、少しだけ修正したようだが…)

さて今回、容認派が約六%も減少したのは、まさに設問の仕方を変更した事によるものとしか思えないじゃないですか。

つまりこれ、質問の仕方で、どうにでもなる事を示している。
要するに世論調査はいい加減であることの典型例ではないの?

かし新聞記事にそんなことは出ていない。

そもそもこの世論調査の回答数は3000人中1826人(60・9%)で、回答しなかった人は一時不在445人(約14・8%)、拒否455人(約15・2%)であり、この分布を見れば回答者が「世論」と言えるか自体が疑問である。

こんないい加減な世論調査も、内閣府の言うがままに言わば垂れ流しで、あたかも客観的な世論調査のように報道している。

ひどいもんです。

とはいえ、私も、原典にあたって初めて気付いたのですが…。


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by kazuo_okawa | 2018-01-04 22:29 | 出来事いろいろ | Trackback | Comments(0)