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by kazuo_okawa
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タグ:本多勝一 ( 3 ) タグの人気記事

アメリカの属国表記!

毎日新聞ニュースによれば、< 河野太郎外相は21日の記者会見で、日本人の名前のローマ字表記について「姓―名」の順番で表記するよう各国の主要報道機関に要請すると表明した。現状は、安倍晋三首相は「Shinzo Abe」と記載されているが、「Abe Shinzo」にするよう求める。>という。

遅すぎるくらいの当たり前の話である。

小中学校で、ローマ字表記・英語を習い、疑うことなく、「名―姓」の順と教えられてきた。
しかし高校生の頃に本多勝一氏の著作で、自らのアイデンティティーを表す名前の表記をわざわざ「アメリカ語」に合わせる必要はなく「姓―名」の順で書くべしとの意見を知り感銘を受けたことがある。

以来、「Okawa Kazuo」と表記してきたが、いつの時だったか、その旨英文契約書に私がサインした時に「Okawa, Kazuo」と間に「,」を入れられたことがある。

わざわざ逆順であることを示すのであり、気分悪いことこの上ない。
属国なのか、と感じてしまう。

河野外相もたまにはいいこと言うなとニュースを読んでいると、
要請の理由は、2000年国語審議会答申やG20首脳会議なども控えている事の他、「令和」という新しい時代になったことを上げたという。

アメリカの属国委表記を止めるというのは正しいが、その理由がいまいち的外れというか、情けない。

とりわけ「令和」など何の関係もないだろう。
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by kazuo_okawa | 2019-05-22 00:10 | 司法・ニュースその他 | Trackback | Comments(0)

安田氏解放されて…

内戦下のシリアに2015年6月、トルコ南部から陸路で密入国し、武装勢力に拘束されていたとされるフリージャーナリスト安田純平氏が解放された。

その情報を受け、安田氏をめぐる「自己責任」の議論がインターネット上で再燃しているらしい。

24日朝、出かけに「羽鳥慎一モーニングショー」を観ていると、テレビ朝日解説委員の玉川徹氏のコメントが実にいい。

ジャーナリストの役割は、民主主義を守ること断言し、その取材のために、紛争地帯に飛び込むフリージャーナリストの役割は大きく、帰還軍人を英雄として迎えるように、安田氏を「英雄として迎えないでどうするんですか」と主張した。

全く同感である。

改めて言うまでもないが、民主主義の前提として、政府・行政の情報開示、国民の知る権利が認められなければならない。
ときに権力は真実を隠そうとするから、それを暴くために資するのがジャーナリストである。

こういうジャーナリストの果敢な取材無くして民主主義はない。

にもかかわらずこれを否定して「自己責任論」などというのは、自らを「非民主主義者」と名乗るに等しいであろう。

それにしても、かつて戦場におもむき、「戦場の村」など精力的なルポを発表していった朝日新聞記者本多勝一氏の時代から何ら進歩していない、と感じざるを得ない。
当時も、右翼の嫌がらせなどがあったからである。

いや、危険な取材は、正規社員がするのではなく、フリージャーナリストに任せる今日の構造からすれば、ジャーナリストの側も、国民の側も、状況はひどくなっているのだろう。
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by kazuo_okawa | 2018-10-24 21:32 | 司法・ニュースその他 | Trackback | Comments(0)
定期購読している「マスコミ市民」7月号を読む。

「『異端』のジャーナリストに聞く」シリーズ最終回に
本多勝一氏が登場している。

本多氏は「戦場の村」「中国の旅」「殺される側の論理」など
数々のルポ・著作を発表している元朝日新聞記者である。

10年くらい前までは、本多氏の本をよんで
ジャーナリストの世界に入ったものはかなりいたというくらい
その影響力は大きい。

私自身も学生時代、本多氏の著作には
影響を受けた一人である。
何冊も読んだ。

その一つに「法学教室」(第二期・第5号・1974年6月発行)という
法学部の学生向けの冊子に、彼の寄せた随想がある。
表題は「巨大な犯罪ほど『合法的』である」

理不尽な不正でも権力者はそれを「合法化」する
力を持っている。ニクソンはベトナム戦争で
大量虐殺をするとき「合法的」手続きを踏んだ。
そしてそこで言う「法と秩序」のおかしさを皮肉ったあと
本多氏は次のように締めくくる。

「よく私はいうのだが、侍は権力者が人民を弾圧するための
刀使いであった。ところが逆にその刀を支配者に向けた例外的
侍もある。法律はその刀であり、法曹人はそれを使う侍だ。
侍たちよ。あなたがたの誰が「例外」たりうるだろうか。
私たち「法で支配される側」は期待している。」

私が、弁護士を目指したとき、本多氏のこの随想は何度読んだことか。

弁護士になってからも、この著は事務所のいつも手に届くところに
おいている。
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by kazuo_okawa | 2013-07-27 12:44 | 出来事いろいろ | Trackback | Comments(0)