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by kazuo_okawa

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自民党世論の不可思議?

5日付日刊スポーツ「政界地獄耳」が意味深である。

萩生田文科相の差別的な「身の丈」発言で物議をかもした英語民間試験は、結局延期となったが、それについて「政界地獄耳」氏は書く。

<自民党議員が言う。「英語試験は野党攻勢というより、自民党支持層のネットでの怒りが大きい。今、自民党が見る世論と野党がみる世論動向は違う。>

地獄耳氏の記載はここまでであり、自民党世論と野党世論のどこがどう違うのか、それ以上は書かれていない。
そこが気になるのである…。

野党世論は明快である。
- 経済力のある者が有利な「教育格差」は不公平であり、それを是認する「身の丈」発言は許せない。英語民間試験はやめるべきだ。―

これと違う自民党世論というのが分からない。

自民党世論を意識して「やめた」というのであるから、今回の「英語民間試験」に反対なのだろう。

しかし、それでいて野党世論と違うというのが分からない。

いやあ、本当に、いつも自民党世論は何を考えているのかわからないところがあるのである。
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by kazuo_okawa | 2019-11-05 21:35 | 司法・ニュースその他 | Trackback | Comments(0)

マッチポンプの道警

札幌市で7月15日、安倍晋三首相の参院選の街頭演説中にヤジを飛ばした市民を北海道警の警官が取り押さえ排除した問題は、<政権のための警察>を示すもので民主社会・民主警察からほど遠い体制であることを示して恐ろしい。

道警は当初、ヤジが公職選挙法違反(選挙の自由妨害)にあたる「おそれがある」としていたが、市民の批判や動画が明らかにされると、後に、聴衆同士のトラブルを防ぐための通常の警察活動だったと見解を変えた。

そこで面白いのは本日のニッカン(日刊スポーツ)8月13日付のコラム「政界地獄耳」である。
記事は8月6日に、北海道議会でこの問題が取り上げられたことによるものだが、道警が見解を変えたのち、今なお、「トラブル防止のため」と言い張っていることに対して鋭く切り込んでいる。

さすがに「一般紙には書けない」「問題点に切り込む文字通りの「地獄耳」」というだけのことはある。

以下その引用である。
「ただ、道警の説明は、はなはだ説得力に欠ける。街頭演説で「増税反対」と声を上げた女子大生のとっさの判断による録音でのやりとりでは、道警(以下、警)「いきなり声上げたじゃん」、女子大生(以下、女)「なにそれ、犯罪なわけ?」警「取り押さえたんじゃなくて、やめよ」女「腕つかんで取り押さえたじゃん」警「それは取り押さえじゃないんだよ」女「じゃあ日本語が違うんだ、あなたたちと」警「法律に引っかかっているとかじゃなくて」。この法に基づかない問答が続くが、聞いていると現場のトラブルを巻き起こしているのは道警ではなかろうか。」

トラブルを起こしているのは「道警」で、そのトラブルを理由に排除する。

まさにマッチポンプである。

ニッカン政界地獄耳をお勧めする。
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by kazuo_okawa | 2019-08-13 09:25 | 司法・ニュースその他 | Trackback | Comments(0)
6月1日付日刊スポーツのコラム「政界地獄耳」で映画監督・想田和弘氏のネットに書き込んだ言葉が引用されている。
曰く-
「公文書を書き換えたけど改ざんではない」
「武力衝突はあったけど戦闘ではない」
「つぶせとは言ったけど反則しろとは言っていない」
「物を盗んだけど窃盗ではない」
「人を殺したけど殺人ではない」
「無理やり性交したけど強姦(ごうかん)ではない」
「だましたけど詐欺ではない」
「遅れたけど遅刻ではない」…。

社会現象に敏感な映画監督ならではであり、いずれもニュースで有名になったこれらの言葉を並べるだけでも世の不条理は浮かび上がるだろう。

「政界地獄耳」氏が想田監督のこの言葉を引用するだけでも値打ちがある。

何故なら、<主要新聞は読まない、ネットの気に入ったニュースだけ読む>という層が増えているところ、テレビのワイドショーとスポーツ新聞は広く大衆に知らせるという意味で重要なメディアだからである。
「政界地獄耳」氏は、フィリピン大統領を例に挙げて、「独裁者をたたえる論調」を批判する。
ストレートに指摘してはいないが、「安倍独裁」を称える御用メディアを間接的に批判している。
そして国民が、「やり放題」を気に留めず、あきらめることに慣れてしまう現状を憂い「一億総ゆでがえる時代」と結んでいる。

和田監督の見事な整理にも、「政界地獄耳」氏の論調にも全く同感である。

しかし、このまま「ゆでがえる」になるわけにはいかない。
そのためにどうするか。

「運動」は色々と思いつくだろうが、まずは「あきらめない」ことでである。
これが何よりも肝心である。
次いで「不条理」を広げる。
この「政界地獄変」や想田監督の言葉を広げるだけでも大きいだろう。
そして「声をあげる」

これらのことは誰でもできるだろう。

「ゆでがえる」にならないために、是非あきらめないで頑張りたい。

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by kazuo_okawa | 2018-06-04 07:19 | 司法・ニュースその他 | Trackback | Comments(0)