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by kazuo_okawa
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敗者高見叡王の涙!

将棋の第4期叡王戦七番勝負の第4局は11日、広島県廿日市市で指され、挑戦者の永瀬拓矢七段が高見泰地叡王に132手で勝ち、シリーズ4連勝で叡王を奪取し、初タイトルを獲得した。

4勝0敗の結果に特に驚くこともなく、実力的に見て予想された結果であろうと思われる。

ニコ生で見ていたが、解説渡辺明二冠はいつもの通り明快である。
「龍の価値を重く置かないんですね」(渡辺二冠)など、「負けない将棋」永瀬新叡王の思考もよく分かる。

驚いたのは終局後、高見叡王が涙で固まったことだ。

最近は、対局現地で解説会が開かれ、対局終了後に対局者がファンの前に姿を見せて挨拶をする。
その挨拶の場で、高見叡王は言葉にならずいったんは姿を消したのである。

まずは司会役の山崎隆之八段は敗者に気遣って慎重に述べていた。
「対局を終えられてすぐというのは、我々も対局するので分かるのですが、終えられた直後というのは…。まあ、叡王戦というのは大舞台なので、ファンの皆さんも応援してくれますし、大舞台はなかなか出ることが出来ない。僕なんかも出てないし。…」
しかし高見叡王はいったん引っ込む。
「まあ、これは初めてで…。そうですね。勝負の直後と言うことで…」とつなぐと
高見叡王が再び出てきて大声援。
そして、涙の挨拶となるのである。

勝負の世界は、負けて悔しいものだが、しかしどんな超一流棋士でも2~3割は負ける。
負けて悔しくとも、人前で涙するというのはまず見ない。

ここが高見叡王の人気のゆえんなのか…。

見ていた渡辺二冠の解説。
「珍しいシーンでしたね。高見さんはファン思いの棋士で、応援してくれるファンの為に勝ちを目指すということを常々述べておられる方ですから、ストレート負けという結果が人一倍悔しかったのでしょうね」

「山崎隆之八段は、結構言葉を選らんでいましたね。でも結局、何が言いたいのか分からない」
渡辺節は健在である。
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by kazuo_okawa | 2019-05-12 14:21 | 将棋 | Trackback | Comments(0)
藤井七段が初めて解説するということで話題になった12月1日の叡王戦。
対局は羽生善治竜王対菅井竜也七段という好カード。

これを藤井七段が初解説するのである。
無論、藤井七段だけでなく山崎隆之八段もダブル解説役である。

このタイムシフト(録画)を見ていると、何と、山崎八段が「藤井さんのこの対局の解説は午後10時までです。法律で決まっていますので」と説明していた。

いやあ、将棋番組を見ていて、労働基準法が出てくるとは思わなかった。

確かに労働基準法は、満18歳に満たない者を午後10時~午前5時(深夜)に労働(勤務)させる事を禁止している(労働基準法61条)。
しかしこれは、「労働者」保護のための法律であり、労働者でなければ適用されない。
現に未成年の芸能人や俳優(子役)、歌手などで、午後10時を過ぎても活動している例を思い浮かべる方もいるだろう。
つまりそういうタレントは「労働者」とされていないのである(つまり午後10時過ぎても活動出来る)

では労働者かそうでないかはどのように決めるのか。

一般に、労働者とは、使用者の「指揮監督下の労働」であるかどうか,支払われた報酬が「労働の対価」であるかどうかによって判断される。
平たく言えば、実力ある未成年タレントで「指揮命令下」になければ「労働者」ではない。
厚労省は一例として「歌唱、演技などが他人によって代替できず、人気がある」などを基準に判断し、「労働者」ではなくて「自営業者」とみなした場合は労基法の規制は受けない、としている。

では藤井七段はどうなのか。

年収1000万円を超える16歳棋士であり、将棋界では「他人によって代替できず、人気がある」棋士であることは違いない。
その報酬も、優勝賞金部分が大きい。
しかし彼は一方、日本将棋連盟の指示する対局は断れない(対局義務はある)。

とまあ、労働者性については結構難しい。

そこで日本将棋連盟は、無難に、労働基準法適用と考えたのだろう。

過去も、「中学生棋士」は4人いるが、18歳未満のときに解説をしたことなど聞いたことはない。
おそらくこういう18歳未満のときの解説役は藤井七段が始めてだったのだろう。

考えてみれば、こういう労働基準法問題が出てくること自体が、実は大変凄いのである。

【追記】
藤井七段はかつて対局で午後10時を回ったことがあり、そのときにも労働基準法の適用の有無が話題になった。
このとき日本将棋連盟は、棋士は「個人事業主」で労働基準法の適用は受けない。「棋士の労働時間に制約はなく、対局時間も棋士の意思に委ねられている」と説明していた。
同様に、解説役も「個人事業」と割り切っても良かったと思うのだが…。
なぜなら、余人を持って代えがたい日本一の詰将棋力を持つ藤井七段の、終盤の解説こそ聞きたいのであり、この一番の最後の楽しみのところで「はい、午後10時になりました。」と終わるのはいささか釈然としないのである。
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by kazuo_okawa | 2018-12-05 00:25 | 労働 | Trackback | Comments(0)

面白さとは何か?

12月2日のNHK杯戦は山崎隆之八段対丸山忠久九段。
山崎八段の戦法が実に面白い。

解説阿部隆八段が、山崎八段の初手はまず26歩と断言したにもかかわらず、先手山崎八段が、いきなり78金、そして丸山九段34歩に、3手目48銀とワクワクする出だしなのである。
さらに、3筋の歩を突き合い、まるで横歩取りのように大駒飛び交う。

こういう将棋を見ていると、棋士同士の対局が本当に面白いと思う。

しかし、である。

先日、やねうら王磯崎氏の講演を聞いた時の話であるが、詰将棋が見るものをして感動させるのは「大駒を只で捨てる」「しかも敵方焦点の場所に捨てる」などであると、その要素を分析し、逆に,AIにこの要素(条件)で詰将棋を作らせる取り組みなどが進んでいるという。

AIは今や、人類より強いが、しかし,現状では、AI同士の対局を見ようとはとうてい思わない。
人間同士の熱い闘い、意表を突く一手、ポカなどある意味で人間臭い手の数々…、こういったものが人間同士の闘いを引き付ける。

しかしそのうちに、人間同士の将棋が面白いのは何故かと分析し、その要素から逆算して、AIに、見る人を感動させる各要素を覚えさせていけばどうなるのだろうか、と思うのである。

まあ、しかし、AIがポカしても、それが予め(一定の頻度でポカすると)仕組まれたものとすれば、おそらくそれは面白くないだろう。

とすると「面白さとは何か」というのは実に難しいテーマだと思うのである。
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by kazuo_okawa | 2018-12-04 01:05 | 将棋 | Trackback | Comments(0)

棋聖戦、豊島八段先勝!

本日始まった棋聖戦、豊島将之八段が見事に勝利した。
実に強い!

羽生善治棋聖に挑戦する五番勝負初戦の勝利である。

abemaTVの「初手からの振り返り」で山崎隆之八段の解説がいい。

終盤、豊島八段が優勢であるも、羽生棋聖は勝負手を放つ。
そういうときに「これは一見『詰めろ』に見えますがそうでない」とか「有段者の方はこう攻めればいいと思われるかもしれませんが実はこのときにこういう切り返しがあるのですね」といった解説が、これが実に、壺にはまってよくわかるのである。

と同時に、山崎八段の解説により、いっそう豊島八段の充実ぶりが印象に残る。

山崎八段は、豊島八段にとっては、奨励会の有段者時代とプロになってから一番影響を受けた棋士である。
山崎八段から逆に見れば、豊島八段は、まあ「弟分」のようなものだろう。
その山崎八段が賞賛する勝ちぶり、なのである。

思えば4年前、豊島七段(当時)にインタビューをさせていただいたとき、コンピュータAIとの実践は直ちには役立たないが将来必ず役に立つ、と断言しておられた。
いよいよ花開くときが来たのだろう。

昨日のブログで予想をあげたが、おそらくその通りになるのではないか。
いやあ、実に楽しみである!!

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by kazuo_okawa | 2018-06-06 21:32 | 将棋 | Trackback | Comments(0)
叡王戦決勝戦は山崎八段が制した。
栄えある初代叡王である。
すでにブログに書いたが、山崎の気迫が上回ったということだろう。
おそらく関西若手棋士の「兄貴分」としては、後輩糸谷、豊島らの活躍に思うところがあったに違いない。
かつて山崎は、前竜王糸谷の活躍を評して、それは豊島七段の活躍が「エンジン」になったと述べていた。
しかしそれは、山崎自身にも当てはまるのであろう。
今回の山崎の気迫はそのようなことを感じさせる。

それにしても、今回の観戦ほど不思議な空間に包まれたことはなかった。

それはポナンザの評する評価価値が一手ごとに示されたからである。
コンピュータソフトの終盤の読みは人間以上である。
従って、終盤の評価はかなり信用がおける。

例えば、第一局。
終盤郷田王将のポナンザ評価は3000点台を示していた。
通常この点数は、必勝形である。
しかし、郷田に悪手が出る!
その瞬間、ポナンザ評価値は、パラパラっと減少していき一気に200点台に大きく減った。
この瞬間、控え室に悲鳴が上がったという。
つまり、逆転の瞬間が、リアルに、瞬時に分かるのである。

第二局でも同様のことはあった。
一転、二転し、優勢の山崎が87龍と成り込んだときである。
山崎の評価値は大きく下落した。
つまり、悪手である。
しかし、人間にはすぐには分からない。
解説者の「これは何ですか。そうか、このあとこうすれば、ここで『王手龍』が出るんですね」と解説されて初めてその悪手の意味が分かる。
しかし、1分将棋の中、その後郷田はその絶妙手『王手龍』に気付かず、またしても悲鳴が上がる。

そもそもプロ同士の将棋はどちらが勝っているかは、なかなかわかりにくいものであった。
そのため、解説者の力を借りて、そして自分なりに考えて、楽しむ。

しかし、この叡王戦は、瞬時に、リアルに、悪手を判断するのである。
ということは、考えなくても楽しめるのである!!

これは、未来に向けて、将棋観戦ファンの見方が今後大きく変わっていくことを予感させる。

実に不思議な感覚である。
by kazuo_okawa | 2015-12-14 18:43 | 将棋 | Trackback | Comments(0)