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by kazuo_okawa

制度を変えた女王

今朝の新聞を何気なく読んでいたら
片隅に、
将棋の里見香奈女流名人が
倉敷藤花のタイトルを失い
これで2冠に後退した、との
記事が出ていた。

里見香奈は、女流の6大タイトルの内
一時、5冠まで勝ち取り、
全冠制覇も間近といわれた女流強豪である。

人呼んで「出雲のイナズマ」。

その強い里見が5冠から連続失冠しているのである。

里見は、女流棋士としての活動の他
男子と混じって奨励会(将棋のプロ養成機関)に
入っていることから
おそらくその激戦が堪えているのであろう。

男子と同じく奨励会に入って
そこを勝ち抜いてプロ棋士になった
女性は過去誰もいない。

一方、女性だけの女流棋戦が6つあるが
かつては、女流棋士と奨励会の掛け持ちは許されず
奨励会を目指す女流棋士は
その間、女流棋戦を休むしかないし、
逆に、女流棋戦に参加するなら
奨励会試験は受けられなかった。

里見が、奨励会を目指したとき
すでに女流のタイトルホルダーであったため
彼女にこの制度の壁が立ちはだかった。

しかし、そのとき里見は
「あくまで、プロを目指す。
そのためなら、女流タイトルを返上してもよい」
と述べたという。

この里見の熱い思いが制度を変えさせた。

無論、女流棋戦において
スターを失いたくない、という
日本将棋連盟の思惑もあったろう。

しかし、確実に言えることは
里見香奈の一言が制度を変えたということである。

制度は変えられる。

制度を変えた里見香奈には
是非とも、女性の将棋プロ第一号になってほしい。

【追記】
里見香奈はその後女流5冠までなったが、奨励会は年齢制限で退会した。あとはプロ棋士に勝ち続けることで、プロ入り編入試験を受ける道は残されている。
.

# by kazuo_okawa | 2013-11-25 20:18 | 将棋 | Trackback | Comments(0)
現在、審議中の、特定秘密保護法案が
極めて危険で、国際的な水準に照らしても
大いに問題であることは、
すでに「ツワネ原則を武器に」のブログで述べたが
本日、日弁連委員から、情報が回ってきました。

即ち、 日本の特定秘密保護法案は透明性を脅かすものであるなど
国際連合人権理事会特別報告者が強い懸念を表明しているという内容です。
後記の通り、実に、的確に問題点を指摘しています。

日弁連委員からの情報をそのまま下に貼り付けます。

是非「拡散」して下さい。

また、12月2日正午(集合11時半)大阪弁護士会主催デモです。
是非ご予定下さい。
また前回以上にお集まりください。

【以下、日弁連委員からの情報の貼り付けです】

ジュネーブ(2013年11月21日):国際連合人権理事会の特別報告者の二人が、日本国政府が国会に提出した特定秘密保護法案に関し、強い懸念を表明した。表現の自由に関する特別報告者および健康への権利に関する特別報告者は、法案に関して日本政府にいくつもの質問事項を伝え、国際法における人権基準に照らし合わせた法案の適法性について、憂慮を表明した。

「透明性は民主主義ガバナンスの基本である。情報を秘密と特定する根拠として、法案は極めて広範囲で曖昧のようである。その上、内部告発者、そして秘密を報道するジャーナリストにさえ重大な脅威をはらんでいる」と、表現の自由に関する特別報告者のフランク・ラ・ルーは述べた。

公共問題に関する情報を秘密にすることが正当であるのは、その情報が公開すされることで重大かつ実証可能な危険性があり、なおかつ、その危険性が情報を公開することによる公益性を上回る場合だけである、とラ・ルー氏が強調した。「例外的に、情報が機密にされる必要があると当局が認めた場合でも、独立機関の審査が不可欠である」とラ・ルー氏が述べた。

特別報告者は法案にある、情報を公開した人に対する罰則について特に注目し、「違法行為や、公的機関による不正行為に関する情報を、公務員が誠意を持って機密情報を公開した場合、法的制裁から守られなければならない」と強調した。「同じように、ジャーナリストや市民社会の代表などを含むそのほかの個人が、公益のためと信じて機密情報を受け取り、または流布しても、他の個人を重大な危険の差し迫った状況に追いやることがない限り、いかなる処罰も受けてはならない」、と言った。

健康への権利に関する特別報告者のアナンド・グローバーは去年日本を訪問し、福島原発問題への対応を調査した。彼は、緊急事態において常に完全なる透明性を確保することの重大性を強調し、「特に災害においては、市民が継続的かつ迅速に情報を提供されることは必要不可欠だ。それによって、市民が健康に関して正確な判断が下せるからだ」と述べた。

国連の特別報告者は、加盟国から選出される人権理事会が特定の人権問題に関して調査及び報告を任命する、独立した専門家です。
原文;http://www.ohchr.org/EN/NewsEvents/Pages/Media.aspx?IsMediaPage=true&LangID=E
# by kazuo_okawa | 2013-11-24 12:56 | Trackback | Comments(0)
大学教授にしてミステリ作家でもある、
森博嗣氏の新作「思考を育てる『100』の森博嗣講義」(大和書房)を読む。
(といっても買ってから数ヶ月になるが)

森氏は、ミステリもさることながら
この新作のように、エッセイなども大変面白い。
理系のミステリ作家らしく、常識をひと味ひねった
発想が秀逸である。

森氏の発想はおおむね、多数説の考えに
ちくりと一刺しする少数説論者である。

ところが、その森氏が本来の土俵であるミステリの場で、
「ミステリは殺人が必要」という多数説論者なのである。

本書でも、その下りが出てきた。曰く
「ミステリィなので、人が死なないと話にならない」

多数説や常識をぴりりと指摘する森先生にしては
このテーマについては多数説と言うところに
私は少し残念に思えるのである。

「ミステリに、殺人は必要なんですか」
実はこの問いは、何十年も前からあるテーマである。

前述の通り、通説は、殺人必要説である。

その理由として、「それがミステリなんだ」という
全く理由になっていないものもあるが
アメリカの推理小説家、S・S・ヴァン=ダインが
「長編小説には死体が絶対に必要である。
殺人より軽い犯罪では読者の興味を持続できない。」といったように
殺人で読者の興味を引くのがミステリというのが通説なのである。

森氏は、違う表現をしているが「殺人必要説」であることは違いない。

私は、ミステリをミステリならしめる要素は
「発端の謎、中段のサスペンス、結末の意外性」
と思っており、「殺人」は必ずしも必要ではない、との考えである。

更に言えば、「謎」と「意外性」が本質的要素であり
「サスペンス」も「解決への論理」(これも論理学で言う厳密な論理でない。
読者になるほど、と思わせる程度の論理である)も
所詮「手段」にすぎない。
同様に、「殺人」も読者を引きつける「手段」に過ぎないのである。

しかし「殺人」という「手段」は意味がないわけではない。

例えば、殺人ではなくて「大家の蔵から一升瓶を盗んだのは誰か?」
などという謎は読者を引きつけないであろうし、
作中人物の証言(目撃者とか関係者の証言)も
(そんな問題で一々真面目に答えるか、と)
その信用性がおけないでしょう。
つまり、どうでもいい謎なら、作中人物が
真面目に答えるのもおかしい、となってしまうのです。

「殺人」成ればこそ、人々は、その物語の進展に
興味を覚えるし、また、作中人物の証言も
殺人なればこそ(犯人や、思惑のある人以外は)
大抵、「捜査」に協力してくれるであろうことから
その証言を信ずる根拠が出てくるわけです。

とすれば、殺人が無くとも、
魅惑的な謎、結末の意外性が出せれば、それは立派なミステリである。
従って、ミステリに殺人は必要不可欠ではない。

…とまあ、こんな議論を、
京都大学推理小説研究会時代にしてきたのですね。

どんなことでも、やたら、理屈っぽくて、
とことん議論する。
そして、その理屈や議論自体を楽しむ。
ひときわ風変わりな大学サークルでした。

その議論を楽しむ風土から、つまりその京大ミス研から、
多くのミステリ作家と
多くの法律家が排出しました。

京大ミス研から、ミステリ作家が多く輩出したことは
今日、よく知られていますが、実は
同じように、法律家も大変多く輩出しているのです。
これはあまり知られていませんが、
こんなサークルは、日本のあらゆるサークルの中で
京大ミス研だけです。

本日、京大11月祭に行き、京大推理小説研究会に顔を出す。
今も、後輩達が頑張ってくれているのは嬉しい。

森先生に反論するつもりが少し横道にそれてしまいました。
# by kazuo_okawa | 2013-11-23 23:32 | ミステリ | Trackback | Comments(0)
「天才・羽生善治が最も恐れる男が明かす『勝つ』極意」
のキャッチフレーズとともに発刊された
渡辺明竜王(三冠)の新著「勝負心」(文春新書)が実に興味深い。

渡辺曰く、
「運」や「ツキ」など信じない。
ゲンをかつがない。
「調子」などというものはない、全て実力。
後悔は時間の無駄。…。
など徹底的に合理的な考えに、共感し、
むしろ、すがすがしさえ覚える。

また全編を通じて
羽生三冠への尊敬と敬意に満ちており
逆に、渡辺竜王を通じて、羽生の凄さも浮き彫りにされる。

プロの気配りやコンピュータとの違いなどの項も大変面白い。

この一冊は是非お薦めである。

ただ読んでいて気になったのは
「私は以前から、米長哲学には素直にうなずけなかった」との下りである。
「以前から」というには、当然、今もうなずけない、となろう。
しかし、そうであれば、あとの記述と照らし合わせて
とうてい渡辺竜王の言葉とは思えない。

さて、突然「米長哲学」と出てきて、
将棋ファン以外の方には何のことか、と思われるかもしれないが
これは、今は亡き米長邦雄永世棋聖の言葉として大変著名なものであり、
「自分にとって消化試合でも、相手にとって大きな勝負には
全力を尽くすべき」という勝負哲学として知られている。

例えば、相手は勝てばタイトル挑戦権を獲得するというような大一番
(或いは逆に、その地位を陥落するというような逆の大一番も同様である)
そして、こちら勝とうが負けようが何ら変わらないというような消化試合を意味する。
こういう勝負においては、しばし手を抜きがちであるが
しかし、こういうときこそ、手を抜かず、否、
むしろ全力で闘うべし、という考え方である。

この考えは将棋ファンも含めて広く共感を呼んだ。

しかるに合理主義者渡辺竜王は、この考えは
「非論理的な内容だ」というのである。

つまり、大事な一番も、そうで無い一番も頑張れ、ならわかるが
大事でない将棋「こそ」頑張れ、というのはおかしい、というのである。

無論、米長の言いたかったのは前者である。
米長の名著「人間における勝負の研究」(詳伝社)や
「泥沼流人生相談」(ネスコ)などをよく読めば分かる。

何故、大事でない一番も全力を尽くすべきかなのか。
自分にとっての大一番は自ずから全力を尽くす、
しかしそうでない一番は手を抜く可能性がある、
それ故に、そうでない一番「こそ」全力であたれと強調したに過ぎない。

ところが、米長は何故そうすべきかの理由を、
そうすることによって「運を呼び込む」からといったのである。

しかし、「運」などと言い出すのは、ここは合理主義者としては、
とうてい納得しがたいところである。
おそらく渡辺竜王もここに納得し得ないのであろうと
私は想像している。

おそらく消化試合でも頑張るのは
「プロ故に、常に、どんなときでも
ファンに最高のパフォーマンスを提供すべきであるから」
という理由からであろう。
だからこそ消化試合も全力を尽くせ、ということであろう。

無論、そのように言わず、「運」を結びつけたところに
米長哲学の真骨頂がある。

【以下は、私の推論である】

渡辺竜王の言いたかったのは、
以下のようなものではなかったか。

<渡辺は、若い頃、大事でない勝負「こそ」全力を尽くせという、
米長の考えは、非論理的と思ってうなずけなかった。
しかし今では、米長は「全てに全力尽くせ」という
意味だったのではと思っている。
しかし、運を呼び込む、などというロマン的な考えはない。
とはいえ、私の言いたいのは、偉大な先輩の言葉だからといって
納得出来ないときは従う必要はなく、もしも受け入れるならば
十分に納得してすべきだ、ということである>

ゴーストライターをつかい、
そしてそのゴーズトライターが微妙に勘違いしたのではないかと
私は、推論している。
.
# by kazuo_okawa | 2013-11-23 02:06 | 将棋 | Trackback | Comments(0)

ツワネ原則を武器に!

自民党が推し進める
特定秘密保護法案の問題点は
もはや明らかに成ったと言えよう。

小手先の修正では何ら変わらないことも、また、
いまや多くの国民には明らかに成ったと。

11月21日、全国一斉に、反対の集会・デモなどが
開かれた。
各地とも多くの人を集めたが
大阪弁護士会でも約420名の参加を得て
大いに盛り上がった。

平日の夜分にもかかわらず、お集まり頂いた市民の方々には
心から御礼を申しあげます。

本日、各地で行われた市民の声を聞かないのであれば
それは、もはや「民主主義」とは言えない。
安倍首相がこの状態で、強行採決をするならば
彼は、民主主義を無視した暴君として
歴史に名を残して、批判されるに違いない。

この特定秘密法案は、国際的水準である
ツワネ原則にも大きく反する。
その一端は、本日の集会で、海渡弁護士作成の
資料を配付したところであるが
ツワネ原則全文を日弁連が翻訳し
それをホームページにアップした。

関心ある方は是非アクセスして下さい。

そして、ツワネ原則を武器に
特定秘密保護法案を、是非とも、廃案に追い込もう。
# by kazuo_okawa | 2013-11-22 00:51 | 情報・プライバシー | Trackback | Comments(0)
世論調査に寄れば、特定秘密保護法案を
今国会で成立させることに「慎重」な
意見が大半である。

例えば、テレビ朝日の世論調査では
今国会中に成立させることに賛成なのは
わずか8%でしかない。

18日、テレビ朝日の記者が、
その点を、自民党石破幹事長に質問した。

そのとき、石破幹事長は、
「どのような質問をしたか。
そしてそれは慎重にした方が良いと言われれば、
そうだと答える方が多いでしょう」
「慎重にすれば、慎重にすればよい」
「では何を慎重にすればよいのか」
「どこを慎重にするのですか」
と開き直っている。

一体全体、この人は
「慎重」という日本語が分からないのであろうか。

分からないのにもかかわらず、自身のブログでは
「慎重」な国会運営をする、との言葉を使ったのか…。

世論調査によれば、特定秘密保護法に対しては
賛否が「わからない」という国民の答えも多い。
これは法案の中身が十分に国民に理解されていないことを示す。

とすれば、更に法案の中身をよく知って貰うために
今国会の成立を急がず、更に時間を掛ける。

これが「慎重に」ということである。
誰でも分かることであろう。

にもかかわらず
記者の当たり前の質問に
開き直って答える。

これが与党幹事長の発言であろうか。

こういう発言を決して許してはならない。
# by kazuo_okawa | 2013-11-20 23:18 | 司法・ニュースその他 | Trackback | Comments(0)
昨年の衆議院選挙が
一票の投票価値の格差を残したまま
行われたのは「憲法違反」だとして
選挙無効を訴えた判決が
本日20日、最高裁で言い渡された。

結論は、「違憲状態」だが
改正への合理的期間を経過していないとして
「違憲」とはしなかった。

最高裁のこのあまりにも消極的な姿勢は
批判されるべきであり、
日弁連が、本日、直ちに「会長声明」を
出したのは当然である。

声明は、最高裁は政治部門への消極的姿勢の表れであり
違憲無効とすべきところ、違憲状態にとどまったのは
不十分と批判している。
この日弁連の批判は実に正しい。

私自身の、一票格差是正運動に対する評価は
7月24日のブログで述べたところである。

本来は、民意を反映しない「小選挙区制」を廃止して
真に、実質的平等を図るべきであるが
その前に、形式的平等を実現しなければならない。

その意味で、この運動は意義があると考えている。

さて、歯切れの悪い判決とはいえ
最高裁は先の衆議院選挙を「違憲状態」とした
わけである。

とすれば、誰しも思うのが
「違憲状態」で作られた自民党政権が
稀代の悪法を勝手に作ってよいのか、
ということであろう。

言うまでもなく「特定秘密保護法」である。

石破茂自民党幹事長自体、かつて自身のブログで
「我々は『投票率五割、自民党候補の平均得票率四割、
よって国民の積極的支持は実際は二割』による政権なのですから、
国会運営は丁寧かつ慎重でなければなりません。』と述べていた。

ここで述べていること自体は、正しい。

しかし、仮に、特定秘密保護法を強行採決するような
ことがあれば、到底「丁寧かつ慎重」とは言えず、
ウソつきとの評価は免れないであろう。
# by kazuo_okawa | 2013-11-20 20:17 | 司法・ニュースその他 | Trackback | Comments(0)