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私の趣味やニュースの感想など好きなことを発信するブログです


by kazuo_okawa

頭脳競技の迫力!

一仕事を終えて、今まだ、事務所にいる。
気になる本日の王将戦をインターネットで検索した。

「毎日」の見出しをそのまま貼り付ける。

「:渡辺、ゴキゲン中飛車に 羽生は超速で対抗 」
「長考の応酬、間合い計る指し手が続く」
「渡辺が48手目封じる 緊迫の中盤戦」

いやあ凄いですね。
この3つの見出しを見ただけで、正直、体が震えますね。
しかもこれだけで色々と推理できます。

将棋ファン以外の方なら、一体何を興奮しているのかと言われそうだが
これは渡辺明王将に羽生善治三冠が挑戦する王将戦というタイトルマッチの、
渡辺の2勝1敗で迎えた七番勝負第4局、まさしく天王山の一局なのである。

先手羽生が飛先の歩を突く。
羽生はオールラウンド・プレーヤーゆえ、これもありである。
本局は矢倉戦よりも、横歩取りや相懸かりを目指した。
ところが、渡辺は6手目に5二飛と中飛車に構えたという。
いわゆるゴキゲン中飛車である。
これが驚きなのである。
渡辺は居飛車党であり、飛車を振ることはない。
まずないのである。
それがタイトル戦という大一番で飛車を振った。
これが凄い。
こういうところが超一流の証である。
三冠から、二冠に後退した渡辺の何かの変化なのであろうか。

以下は、私の(全く根拠のない)勝手な推測である。

世間は、ソチ・オリンピック報道で溢れている。
しかし、人間は「考える葦」でなかったか。
頭脳格闘技の「将棋プレイヤー」として、3強のうちの二人が
ソチを意識して、頭脳競技の最高のエンターテナーを発揮しているのではないか。

私にはそう思えてならない。

決着のつく明日のインタビュー、感想戦が今から楽しみである。

いやあ実に興味深い。
# by kazuo_okawa | 2014-02-18 21:59 | 将棋 | Trackback | Comments(0)

メモを取らない習慣

本日(17日)、滝井繁男元最高裁判事の講演を聞く。
弁護士会の会派の新人会員歓迎企画であり、そのため対象者は新人弁護士なのだが、
私も参加する。

滝井元最高裁判事の講演はさすがだが、ここではそれを紹介するのが目的でない。

私が不思議なのはこのような素晴らしい講演を
メモを取らない新人が多いことだ。

一体何故なのか。
メモも取らずしてその講演全てが、記憶に残るはずがない。
にもかかわらず、メモをとらないのは、メモなくしても記憶に残るという自信があるからか。
それとも、はなから講演内容を記憶に残そうという気がないのか。

私自身は、高校時代の尊敬する教師から
「メモをとれ、手を動かせ」と教えられ、共感を覚えたことから、以来、実行している。
今ではどんな場合でもメモを取るのは「習慣」といっても良い。

一方、新人はどうなのか。

私が、新人がメモをとらないことが不思議であるため
懇親会でその旨の疑問を述べると、、
「そういえば大川先生は一杯、メモをしていましたね」と
逆に不思議がられた。

そこで考えた。
これは仮説だが、おそらく新人には、逆の「習慣」になっているのに違いない。

彼らの学んできた環境、
つまり、分かりやすい教科書、分かりやすいレジュメ、分かりやすい資料。
こういったものを十分に用意されて講義を聞けばメモはいらないだろう。

つまりその「環境」の為に、逆に、メモをしないのが「習慣」となったのであろう。

とすれば、便利すぎるのも善し悪しと言わざるをえない。
# by kazuo_okawa | 2014-02-18 01:56 | 出来事いろいろ | Trackback | Comments(0)
2月14日付け日経朝刊の詩人杉本真維子氏の一節が興味深い。
映像作品を観ていて、回想の主体となる人の顔が、当然のように正面から移されているのはおかしい、という指摘である。
こういう、演出上の「暗黙の了解」には了解出来ないとしている。

回想の主体者を正面から映しても良いという映像上の「暗黙の了解」があるのかどうか、私は全く知らないが、少なくとも杉本氏の指摘は正しい。
回想の主体の視点からすれば、回想の主体自身の正面姿が見えるはずはなく
論理的におかしいからである。

日経新聞の中で珍しく文化欄の記事に印象が残ったのは、実は、ミステリに同様の問題があるからである。
私の好きなミステリの世界における「視点」の問題をいち早く指摘したのは
今は亡き推理作家佐野洋氏であった。
古くホームズ・ワトスン形式なら視点はワトスンに限られている。
しかし、ミステリの発展により、物語の視点は助手役に限られなくなってきた。
「神」の視点も含めて実に多彩になってきた。

ミステリの世界では、登場人物の誰の視点かによって
真相は見えなくなってしまう。
「犯人」は全てを知っている。
「探偵側」は全く知らない。
しかし、犯人の行動の一部だけを知っているという登場人物の視点で描けば
「一部を知り、その他は知らない」ために却って、不可思議な状況が作られるわけである。
それはミステリの幅を広げたが、と同時に、
視点の混在があれば(ある時は「神」の視点、ある時は登場人物の視点)
読者は混乱するのみ成らず、それはフェア精神に欠ける。

こういうことをいち早く指摘したのが佐野氏なのである。

例えばAの視点で,Aにわからないはずの描写(例えばBの心理描写など)を
書くのはおかしい、など、前述杉本氏と同様の指摘は無論のこと
実に興味深い指摘を幾つもしており、佐野氏の評論は実に刺激的であった。

氏の評論集「推理日記」は1976年(昭和51年)に発行されたが
氏は早くもそこで「視点」の問題を繰り返し指摘し、
亡くなる2013年までその問題意識は消えることはなかった。

佐野氏がこういう視点の問題にこだわりを持つのは
ファンならご存知の通り、氏が新聞記者出身だからである。

警察報道そのままの視点で書くのか、記者の視点で書くのか
それが読者に分かるようにしないと、事実の信憑度は変わってくる。
また、いうまでもなく「事実」の報道と「評価」は違う。
また「事実」もその根拠を示さないと、読者に対してフェアではない。

ソチ五輪が始まって以来、オリンピック記事の「感動物語」が溢れているが
「記者」の視点でなく、「神」の視点が多い。

まあこういうスポーツ記事は固いことを言うまでもなかろうが
政治・社会記事ではそうはいかない。
いつの間にか、「神」の視点で記事を書き、読者をミスリードするのでは困るのである。

杉本氏の一節から、ふと佐野氏の「視点」論を思い出した次第である。
# by kazuo_okawa | 2014-02-16 23:40 | 司法・ニュースその他 | Trackback | Comments(0)

可視化「警察後回し」

本日の朝日新聞の見出しである。
取調べの可視化を巡る日弁連の方針が、いち早く報道されている。
つまり、日弁連はこれまで取調べの全面可視化を求めてきたが
警察の強い抵抗によって、可視化の法制化が前に進まないことから、日弁連の案として
検察での取調べの可視化の実現を優先させるという。

従って、見出しの通り、警察の取調べ可視化は「後回し」というわけである。

苦渋の決断であろうとは察する。

しかしこれで良いのかとも思う。
検察不祥事に端を発したことから、必要なのは、取調べの全面可視化をはじめとした
刑事司法改革のはずが、実際は、全面可視化の実現は遠のき、
「焼け太り」のように新しい捜査手法などが織り込まれようとしている。
その法務省法制審の会議のひどさは、委員の1人である周防氏が「atプラス」で
連載記事を載せており、それについてはブログで既に紹介した通りである。

数々の冤罪は、警察での無理な取調から生まれた。
その警察での取調べの可視化を実現しないと、本来の「可視化」の意味はない。
それを、警察後回し、とするのが果たして良いのか議論はあると思われる。
せっかく、周防さんの連載も始まった事でもあり、もう少し、市民を巻き込んでの運動を進められなかったかとも思う。

市民の賛同を得られないと、「焼け太り」は防げないし
逆に言えば、市民の賛同無くして、可視化は実現しない。

弁護士会が全面的に取り組んだ特定秘密保護法案反対運動は市民の大きな共感を得た。
(残念ながら成立したが、今、弁護士会は廃止の運動を進めている)
可視化実現運動が大きく広がらないのは、どうしても、市民には「自分の問題ではない」という意識が強いからであろうか。

しかし冤罪は、誰にでも起こりうる。
それ故、冤罪を防ぐシステムは何よりも万全でなければならない。
また人権はそれに関係する人だけの問題ではない。
ある人の人権が守られないということは、それは同時に、私の人権が守られないことでもある。

今回の日弁案は、日弁連の苦渋の決断だろうとは思うが思いは複雑である。

果たしてこの日弁連の譲歩案に、法務省側は乗ってくるのであろうか。

【2014年2月21日追記】
本日、大阪弁護士会刑事弁護委員会の関係の集まりに出席する。
このテーマについて話すと、この朝日の記事は完全な「誤報」だという。
つまり、日弁委員は「出来るところから実現しよう」と述べたに過ぎず
検察については「可視化」は実現出来るのだから、それを実現しようという意味で
決して「警察後回し」ではないという。
そうであるならばぜひとも「訂正記事」を出してほしいものである。

【2014年2月24日追記】
本日、日弁連事務総長から会員に送られてきた連絡によれば
14日、日弁委員は「録音録画は本来全事件において実施されるべきであり
それが目的であることを部会で示すべきであるが、実施についての
現実的な状況をも考慮すると、全事件実施の目標を3年と定めるなどとして
当初は裁判員裁判に加え、検察段階で全件実施すべきである」と述べたという。
朝日の報道は全く違いますね。
# by kazuo_okawa | 2014-02-15 23:32 | 司法・ニュースその他 | Trackback | Comments(0)

0歳児からの投票権

受刑者選挙権訴訟などに関わったことから
学者の方々とお会いする機会が増えた。

雑談として「ドメイン投票法」の評価を尋ねることがあるが
このドメイン式が案外知られていないことを知る。

とまあえらそうな事を言ってるが、私自身、日経新聞
(2013年7月1日朝刊)で初めて知った投票方式である。

投票年数を20歳から18歳に引き下げるなど
投票年齢をどうするかはこれまでも議論されてきたが
これを一気に0歳まで引き下げる。
そして投票は15歳以下の子どもの場合は親が代理で投票する。
2人の子供を持つ夫婦はそれぞれ自分の1票と合わせて2票を行使する。
子どもが1人なら両親は0.5票ずつとなる。
親ならば子どもの将来を考えて投票するだろう、というわけである。
これはアメリカの人口学者ポール・ドメイン氏が提唱し
日本では青木玲子一橋大学教授が研究しているという。

大変面白い方法である。
親が子どもの将来を考えて投票するとき
ひたすら「戦争の出来る国家」に邁進する安倍自民党に投票するだろうか。

私自身は、真に民意を反映するためにも、
まず小選挙区制を廃止すべし、という意見であるが
民主主義とは何か、を考える上で
このドメイン投票法は広く議論されてしかるべきであろう。

ご紹介する次第である。


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# by kazuo_okawa | 2014-02-14 23:56 | Trackback | Comments(0)
本日2月13日、大阪弁護士会の緊急集会
「秘密保護法廃止に向けて!」に多数お集まり頂き有り難うございます。

パネリストに、私が親しくさせて頂いている北上哲仁議員や
弁護士会が日頃お世話になっている三島聡大阪市大教授
その他、保険医協会、消団連、民放労連、新聞労連などの代表にお越し頂き
有意義な意見交換が出来ました。
会場からの発言もあり、今後、廃止に向けて一歩歩み出したと言っても過言ではありません。

印象に残った発言は幾つもありますが、お一方だけご紹介します。

それは元裁判官の方の会場からの発言です。
「秘密保護法は裁判官としても困る」
「刑事裁判で、秘密の中身に触れない『外形立証』だけでは量刑の判断も出来ない」
「無論、このような法律は『憲法違反』だが、そんな判決をすると裁判所では生きていけない」
「裁判官としては大いに悩む」
「しかし問題は、悩む誠実な裁判官ばかりではない、ということだ」などなど大変興味深い話でした。
そして、「怖い」。

この元裁判官の発言を聞いただけでも、秘密保護法は廃止しかありません。

大阪弁護士会は引き続いて
4月12日(土)午後1時より大阪弁護士会館にて
大集会を開催します。

是非、今からご予定下さい。

(2月14日追記)
文体を修正しました。
また2/13集会の参加者は約80名でした。
4/12も宜しくお願いいたします。
# by kazuo_okawa | 2014-02-14 00:32 | 出来事いろいろ | Trackback | Comments(0)
一流マジシャンにして本格ミステリ作家泡坂妻夫の標記2冊が復刊された。
代表的な書でありながら、長らく絶版になっていた書物である。
同氏のデビュー以来のファンとしては大変嬉しい。
しかし、その反面、いささか複雑な思いもある。

<以下、若干のネタバレと、マジックのある手法に触れています。>

「しあわせの書」は無論優れたミステリであるが
実はこの文庫本自体が、これでマジックが出来る仕掛けに成っている。
その仕掛けは、この本を購入して真相を知って、本を手にすればたちどころに分かるが、それにしても、よくもまあこんな本(仕掛け)を作り上げたものだと感心する。
鬼才泡坂妻夫に拍手喝采するしかない。

しかしながら、正直なところこういう仕掛けはあまり知られてほしくない。
これが、複雑な思いである。

この書を購入される方は同好の士として共に楽しく語り合いたいが
書店の「立ち読み」で仕掛けだけ知る輩が出ることが困るのである。
我が国では、あまりにも、アイデア、仕掛けに対する評価が低すぎる。
皆さん、ゆめゆめ立ち読みで、アイデアだけを読み取るなどということはしないで
関心ある方は是非購入して下さいね。

もう一方の「生者と死者」も驚愕である。
これは「消える短編小説」入ってます!の表紙の謳い文句の通り、袋とじ製本のまま読むと普通に短編小説なのが、この袋とじを切り開いて読むと長編小説となり、短編小説は消えてしまうという、とんでもない小説なのである。

短編小説部分は、長編小説部分とも重なるのであるが、この長編小説部分と
短編小説部分は全くストーリーは異なるのである。
ここが凄い。
これは、ある部分に「二重の意味」を持たせているからこそ成り立つ仕掛けなのであるが
これほどの共通部分に「二重の意味」を持たせるというのは、これまた驚きとしかいいようがない。

古くからのミステリファンはご存知であろうが
泡坂妻夫のデビュー作「11枚のとらんぷ」は「袋とじ」であった。
(本を購入した読者が袋とじを切り開くという、当時の斬新な試みに驚いたものである)
おそらく、泡坂妻夫はこのデビュー以来どこかで、この「構想」を思いついたに違いない。
しかし、それが実現するまでの長さをみれば、それだけでも、この仕掛けの偉大さが分かるであろう。

もしも皆さんが(ミステリ好き、マジック好きで)
この「しあわせの書」「生者と死者」をお持ちでないなら、是非お薦めする。

そして「生者と死者」は、袋とじを切った後、短編小説をもう一度再読したいと思ったときに困るので(私自身の経験です)、そのときの為に、短編再読用としてもう一冊購入しておくのがいい。

また、「しあわせの書」も、あなたがこの本を使ってマジックをするならこれも2冊買うことをお薦めする。2冊の内、1冊は中身は同じながら表紙カバーだけ入れ替えておけば、2冊の内、1冊を選ばせる方法でこのマジックにつなげることも出来るし、「フォースの手法」で、4~5冊の内から1冊選ばせるいう手法など、色々と楽しめるからである。

ミステリファンにして更にマジック好きなら「しあわせの書」「生者と死者」は必携の2冊であろう。
(いや4冊か!)




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# by kazuo_okawa | 2014-02-12 22:40 | ミステリ | Trackback | Comments(0)