今朝の新聞を見れば、市民らがが襲撃された事件で殺人・組織犯罪処罰法違反(組織的殺人未遂)などの罪に問われた特定危険指定暴力団工藤会トップの野村悟被告人らの判決公判が24日、福岡地裁で開かれ、足立勉裁判長は、野村被告人を事件の首謀者と認定した上で求刑通り死刑を言い渡したという。
被告人の関与を示す直接的な証拠がない中、判決は「推認」を重ねたという。
即ち、上意下達が厳格な工藤会の意思決定は「最終的に野村被告の意思により行われていたと推認できる」と指摘したうえ、上層部に嫌疑が及ぶ恐れがある重大事件を「組員が無断で起こすとは到底考えられない」としている。
裁判では直積的証拠がないケースもあることから、「推認」を重ねるという手法事態は何らおかしくない。
裁判に出た証拠を見ていないので、何とも言えないが、ニュースを見る限り、前記の「推認」にそれなりの根拠があったのだろうと「推認」される。
ただこの種の手法で「死刑」とはいささか驚く結論である。
とはいえ控訴上告しても、おそらく首謀者の認定は変わらない気がするが、量刑が変わる可能性はあるだろう。
さてそれはともかく、このニュースで思うのは安倍元首相の責任である。
「もり・かけ・桜」で、公務員などが「勝手に」するだろうかと疑惑がぬぐえない安倍元首相である。
例えば、国会で118回嘘をついた「桜を見る会」疑惑。
つい先ごろ、検察審査会は「不起訴不当」とした。
担当弁護士の話では「安倍氏の『秘書がやったことで知らなかった』という発言について、検察審査会は『国民感情として納得できない』と示した」という。
この審査会論理は工藤会判決に照らしても、ある意味で当然だろう。
工藤会事件では、市民の安心安全のために努力を重ねた検察へ喝采をおくったものは多かったと思われる。
同じように、桜疑惑でも、再捜査する検察には是非とも市民の信頼を勝ち得るよう、巨悪に迫ってほしいものだ。