本年(2013年)の慶応大学総合政策学部入試の数学の問題に数独が出題されたという。
数独とは、9×9の81マスに数字を埋めるパズルであるが
縦横の列とも1から9までの数字が一つずつ入る、
3×3の、9つのマスにおいても1から9までの数字が一つずつ入るという条件がある。
新聞や週刊誌にもよく掲載されている人気のパズルとしておなじみであろう。
ところがこの入試問題に批判が出ているという。
パズル好きの私としては、興味深い話題なので
インターネットで調べてみたところ、確かに
「数独を趣味でやっている人が有利になるというのは問題」
「娯楽で差がついてしまえばよい問題といえない」
などの「苦言」がいくつもあがっている。
しかし、こういう批判こそ、
「解かないで批判する」の類である。
なぜなら実際にこの問題「数独」に挑戦してみれば、
パズル好きが有利とは限らないと言うことが直ちにわかるからである。
じつはこの問題には、もう一つ条件が付いており
(関心ある方はインターネットでこの入試問題を検索してください)
本当は、数独とは違う別のパズルなのである。
そして実際に解き始めると、私のようなパズル(数独)好きは
おそらくもう一つの条件が鍵であろうとと理屈でわかっていても
ついつい日頃の解法にとらわれてしまいなかなか前に進まないのである。
つまり、数独好きでも簡単に解けないのである。
そうであれば逆に、本問は良問、とすらいえるであろう。
世の中には、「読まないで批判する」
「相手の言い分を聞かないで批判する」の類が少なくない。
慶応大学入試問題批判にも同じことを感ずる次第である。
いつの年でも、学生からの質問や意見は大いに歓迎しています。
意表をつく質問や斬新な意見ほど嬉しい。
いろいろな意味で(最近の若者はそう考えるのか、という意味でも)
こちらも勉強になることもあります。
その意味でも思いついたことはどんなことでも質問してください。
意外性・独創性があればあるほど大歓迎です。
さて以上は前書きで、本稿の主題は、質問の仕方です。
私は、龍谷大学での講義が終わると、本業(弁護士業)のため
直ちに大阪の事務所に戻ります。
そのため、質問はできる限りメールでしてほしい、と学生には伝えています。
学生にとってメールのやりとりは手慣れたものです。
無論、講義直後、教室で質問を聞くことも少なくありません。
そこで皆さんにクイズです。
実は、年によって、メールの質問が多い年もあれば、
授業終了後の直接の教室での質問が多い年もあります。
今年は、メールでの質問は少なく、授業終了後の直接の質問が多い年です。
さてそれは何故でしょうか。
皆さんその理由がわかりますか。
答えは、教室の構造です。
出入り口が教室の後方にあるときは、講義終了後、わざわざ講師のいる壇上まで
前に近づいてきて質問する学生は少ない。
そこでメールの質問が増える。
一方、出入り口が前方にあるときは、前方に歩いていくため
帰り際、自然に講師に近づき、私に声をかけて
「先生、こんな場合はどうなりますか」と簡単に質問できるわけです。
種明かしすれば簡単な理由ですが、
ちょっとした違いで、質問方法ががらっと違うので本当に不思議です。
とはいえ、このようにブログにあげたので、今後は違う傾向がでるかな。
仕事で忙しい時期に、東野氏の新作がでるというのは辛い。
誘惑に駆られて少しだけ読む。
いきなり3つの場面が出てくる。
冒頭は、父母が殺され一人娘だけが生き残る場面。
この親子の、名字(姓)が出ていないのは、意味があるのか、ないのか。
ミステリファンとしては気になるところである。
いずれにせよ、この「一人娘」が何らかの形で、あとから出てくるであろうことは
ミステリの常道である。
二つ目の場面。
主役らしき中学生が、たまたま出会った女子中学生に惹かれる。
そしてその彼女は、なんと、「目が少し吊り上がっている」鼻筋の通った女性なのである。
言わずとしれた、東野ミステリおなじみのヒロイン像である。
ここまできただけでわくわくする。
ところが、この主役とヒロインは、いきなり離ればなれになるのである。
そして三つ目の場面。
おそらくここから物語は始まる。
この後の展開は一仕事終えてからとしよう。
それにしても、実に誘惑的で、魅力的な作品であり、
東野氏は天才としか言いようがない。
実に見応えのあるすばらしい企画であった。
とはいえ、当初対戦カードが発表されたとき、結局は最終カード三浦弘行A級八段戦だ
な、と思ったものである。
なぜならプロ側はその実力と先後手の組み合わせからして
第4局までは、プロ側の、勝、負、勝、負、だろうとよんだからである。
(第2局のサトシン先生、第4局の塚田先生、ごめんなさい。)
しかし、第3局は予想に反してプロ側の敗北、
第4局は、持将棋(引き分け)と全く予想外の展開になった。
とりわけ第4局のプロ側は、元タイトルホルダーの塚田九段であり、
その差し手は、コンピューターの弱点と思える入玉戦法を使っている。
盤面自体は途中必敗ながら、粘って逆転引き分け。
団体戦で負けが決まらないよう、最低限でも引き分けを目指したという。
終局後インタビュー時の塚田九段の涙には胸を打つものがあった。
そして第5局。
私は20日帰宅後インターネットで検索し、三浦八段の敗北を知った。
しかもその内容は正攻法で立ち向かい完敗している。
三浦八段は対コンピューター用の特別対策を立てるのではなく
普通に指している。
これはA級八段としての矜恃であろう。
しかしこの敗北は衝撃的である。
無論、羽生3冠、渡辺竜王、森内名人のタイトルホルダーが負けたわけではない。
しかし三浦八段が正攻法で負けるのであれば、早晩
羽生3冠らも負ける日が来るだろう。
それにしてもこの心地悪さが何なのか、分析できない。
そしてそれ自体がもどかしい。
ぜひとも来年、羽生3冠以下トップ3を出してほしい。
秘密保全法は既に法案ができていると言われながら
いまだその法文が公表されていないという、きわめて異様な事態にある。
どこの国にも国家秘密はある、と推進派はいうが、今回用意されている法案は
「公共の安全」など広く網を張っている上、その「秘密」は行政が
特定秘密として指定するという、枠組みとなっている。
無論、秘密漏洩などは罰則をもって厳しく取り締まることが想定されている。
これでは主権者として当然知るべき情報も制限され、表現の自由も危機に瀕する。
東日本大震災後の原発情報をみても明らかな通り、現在ですら、情報は
十分に開示されていない。
にもかかわらずこんな法案が通れば大変である。
20日のシンポのパネリストは、市川正人立命大教授、原田宏二もと北海道警本部長、
そして、わかぎゑふ氏。
市川教授は、実は、私とは京大法学部時代の同クラス生である。
学生時代から聡明であったが相変わらずわかりやすい。
原田氏は、かつて北海道警察の「裏金」を告発したことで著名な人物。
その話は体験に基づくだけに迫力がある。
わかぎゑふ氏はリリパットアーミーⅡの座長。
人を引きつける魅力がある。
(あとから年齢を知って驚きました)
パネリストの皆さんの巧妙な話術で聴衆を引きつけ秘密保全法の危険性が明らかになる。
この日の参加者は約200人、実に有意義なシンポジウムでした。
秘密保全法は廃案しかありません。
皆さんに、その危険性が広く知れ渡ることを心から望んでいます。
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今朝、環境省がブリーフィングを開き「52年判断条件は変えない」と述べたという。
4月16日に言い渡された水俣病訴訟最高裁判決は
それまでの公健法の認定行政の基準であった「52年判断条件」は
それに該当すれば水俣病であるという限りで意義があるとしている。
これは言い換えれば、「52年判断条件」に該当しないからといって水俣病ではない、と
言っているのである。
つまり基準として不十分であることは明らかだろう。
にもかかわらず基準を変えないというのは何なのか。
環境省は「基準は『否定』されていないから」という理由をのべたという。
またしても、屁理屈である。
司法の判断を正しく読み取ろうという姿勢はないのであろうか。
この姿勢は「一票の価値の不平等」に見る立法府の怠慢を連想させる。
悲しいことであるが、私には司法は軽視されているとしか思えない。
いずれも我々に好意的で嬉しい。
と同時になぜ、こんな当たり前のことを確認するのにこんなに時間がかかるのか、と思う。
2004年の最高裁判決は私たちの依頼者Fさんを、水俣病であると認めて、国・熊本県に
損害賠償を認めた。
2004年の訴訟は国家賠償請求訴訟ではあり、今回の裁判は、公健法の認定申請の
問題と適用される法律は違う。
しかし法律は違っても,「Fさんが水俣病である」ということは同じである。
この当たり前のことを、国・熊本県は「法律が違えば、違う」という
屁理屈を述べて、患者救済を放置してきたのである。
私は、労災補償保険法と損害賠償法の例をあげて何度説明したことか。
労働者の方なら職場で,たとえば屋根から落ちて怪我をしたとき労災補償を受けることはご存知であろう。
しかしその給付には限度がある。そこで使用者に上乗せ補償を求めるのであるが
この場合は使用者に安全配慮義務違反などの要件がいる。
つまり労災補償保険法と損害賠償保険法では認められるために必要な要件が
違うのである。
こんなことは法律を勉強したものなら誰でも知っていることである。
しかしそのことと、事実の認識は、別問題であり、
ある事柄の概念は法が違ってもその理解は同じでる。
つまり「屋根から落ちた」というのは、労災補償保険法であれ、損害賠償法であれ
同じなのである。
ところが政府はこれまで、「屋根から落ちた」というのは、法律によって違う。
「屋根から落ちた」というためには、①屋根が30度以上の傾斜
②自分で飛び込んでいないこと、…。など
4つの組み合わせのあるものだけを「屋根から落ちた」という、
といっているのに等しい。
誰が考えてもおかしいですよね。
この訴訟は既に国家賠償請求訴訟で水俣病と認められて勝訴した原告が
公健法(公害被害者の救済法)においても水俣病と認められるべきとして起こした訴訟である。
一審は勝訴したものの二審はきわめてひどい内容で逆転敗訴となった。
今回の最高裁判決はその大阪高裁判決を破棄したものであり、
正直なところ、実に嬉しい。
内容もきわめて常識的な判断である。
実は私は、最高裁法廷に訴訟代理人として出廷するのは今回がちょうど10回目である。
いささか自慢めいて恐縮だが、訴訟代理人として、最高裁に一度も行ったことがない、
という弁護士は山ほどいる。
それは最高裁では、法廷で弁論する場を与えられることなく、
書面だけで棄却されているのが大部分だからである。
私は幸いにも10回も出廷するという機会をえたのであるが、
そのキリのいい10回目が水俣病事件史にも残る画期的な判決であったのは嬉しい。
また内容も、私が3月15日に行った弁論を支持している。
これも嬉しい。
かくて帰りの新幹線の車中では、缶ビール片手に、インターネットで
ニュースを見ながら帰ったのである。
帰宅してつけたテレビのニュースで、
私の顔が、突然、画面いっぱいに写ったのには驚きました。
いやあ、何ともいえませんね。
宮中 桂煥さん編集になる「澤浩の奇術」(東京堂出版・2013年1月)である。
澤さんのマジックは見ていて楽しい。
素材も単にトランプやコインだけを使うのとは違う。
何が起こるのか、と見ていてわくわくするのである。
澤さんの作品集が初めてであることに驚いたが、本書は単にマジックの種明かしだけでなく、澤さんの考え方なども解説されていて面白い。
実は私は、個々のマジックの種明かし部分よりも、考え方を示した読み物部分がむしろ好きなんですね。
ちょうどミステリを読む楽しさに似たところがありますし、マジックに限らない他の分野へのヒントにもなるからです。
それが本書では、第2部メソッド編であり、面白い。
しばし肯定的に使われるブレイン・ストーミング(集団自由連想法)に限界のあることを
「落とし物」を街頭の光の届く範囲ばかり捜している愚か者のジョークと結びつけて説明したり
「矛盾の活用」や「不可能な組み合わせがもたらす新発見」など、一般的なアイデアのヒントにもなる。
編者は宮中 桂煥さんで彼自身も名うてのマジシャンである。
面白くないはずはない。
ミステリファンである私は、乱歩賞受賞作は必ず読む。
乱歩賞受賞作にして彼のデビュー作「放課後」と第2作「卒業」は印象に残ったものの
今日のようにここまで大作家になるとはこのときは思わなかった。
とはいえこの2作が印象に残ったのは学生ミステリ的なにおいを感じたからである。
私は京都大学推理小説研究会(京大ミステリ研)の発足メンバーの一人であり、
いわゆる本格派と呼ばれるミステリを中心に推理小説を読みあさり
また創作してきた。
いわゆる学生ミステリ派である。
私にとって、東野氏の先の2作には同種の雰囲気を感じたのである。
その後も東野氏の作品は読んできた。
どの作品から東野ファンになったか、ミステリ好きの間で話題になることがあるが
私の場合は「魔球」である。
主役が亡くなるまでのストーリー展開とトリックにうならされた。
以後、私は、東野作品は出版されればノータイムで買うようになる。
ガリレオ・シリーズにみられる東野氏の理系的要素は、大阪府立大学工学部出身の
彼ならではの特徴だといわれる。
学部は違うが私は2009年から大阪府立大学経済学部で講師を行い、毎週一回、
一年間通っている。
今年もその講義が始まった。
東野圭吾ファンの私としては、大阪府立大学のキャンパスに足を運びながら