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by kazuo_okawa

カテゴリ:司法・ニュースその他( 566 )

大地震!

豊中に住んでいる。
出勤前の7時58分、巨大な揺れに驚く。

曽根駅に行くも、阪急は運転見合わせ。
曽根駅のタクシー乗り場には長蛇の列。
しかしタクシーは来そうにない。
やたらサイレンが鳴り、上空はヘリコプター。

自宅で様子をうかがう。
裁判所は
「大阪高等・地方・簡易裁判所合同庁舎(執行センター・交通分室を含む。)
において,6月18日(月)に期日が指定されている事件については,全て期日
を変更しました。」と発表。
依頼者の方に、裁判の延期と打ち合わせの延期を連絡する。

私が経験したのは、23年前の阪神淡路大震災のときと同じ「震度5強」である。

しかし23年前は、直ちに外に出たとき、半壊の建物を見たり
電柱が倒れており(そのためしばらく停電になったが)、今回は当地では停電もなく、見たところの被害もなかった。
これは、23年前の経験に学んだ(つまり耐震構造にした)からだろう。

もっとも書籍や書類の散乱はあるのだが(事務所は7階で揺れも大きかったのだろう、足の踏み場もない散乱状態という)…。

そして、3人の死者が出たというのは大変痛ましく、言葉を失う…。
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by kazuo_okawa | 2018-06-18 18:18 | 司法・ニュースその他 | Trackback | Comments(0)

検察審査会申立て!

我々は、森友学園に国有地を不当に安い価格で売却し国に損害を与えた背任の罪で近畿財務局の職員らを告発していたが、大阪地検特捜部は先月、全て不起訴処分とした。

告発をした木村真豊中市議会議員らの代理人として、6月14日、この処分を不服として検察審査会に審査を申し立てた。

申立て後、司法記者クラブで記者会見。

私は、「検察は常に100%有罪を目指す故、無理しないで『不起訴』にすることもある。一方、国策捜査と呼ばれるものなどでは、逆に無理してでも『起訴』することもある。今回は連休前に少し『不起訴』模様をリークし国民の反応を見たと思われる。そして結局は、その反応の弱さから、今や使い古された言葉だが、政権に忖度したのだろう。木村さんから当初より相談を受けている弁護士としては、このような結論はとうてい納得しうるものではない。」などと感想を述べた。

そして本人木村真豊中市議は「(地中の)ゴミを口実にして、ただ同然に叩き売ったことははっきりしている。森友学園への利益誘導という目的もはっきりしている。これで背任罪にならないのはどんなに説明を受けても理解できない」
そのように述べた。

おそらくこれが市民感覚だろう。

検察審査会が、本来の役割を果たしてくれることを切に望むものである。

【16日追記】
一葉社トークという講演会を関東で企画してもらい、15日から関東に来ている。
東京で15日付朝日新聞(東京版)を読んだが、この木村市議の検察審査会申立ては一行も出ていない。
「あったことがなかったようにさせられる」
そんな気分である。
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by kazuo_okawa | 2018-06-15 00:30 | 司法・ニュースその他 | Trackback | Comments(0)
龍谷大学で「裁判と人権」というテーマで講座を持っている。
ちょうど「再審」の講義をしたところであった。

再審は昔はほとんど認められず「開かずの門」と呼ばれていた。
それは再審に要求される「新規・明白」な証拠が、その証拠自体によって「無罪」と示すものとされていたからだ。

しかしいわゆる白鳥決定は、新規・明白な証拠だけではなく他の証拠とも合わせて「疑わしきは被告人の利益に」の観点から判断すべきと画期的な決定を示したのである。
白鳥決定は実に素晴らしくその後「死刑」からの「再審無罪」が相次いだ。

そういう講義をしていた直後の袴田事件高裁決定である。

東京高裁は、静岡地裁の再審開始決定を取り消した。
問題は、犯行の際の着衣とされたシャツなどの血痕について、地裁は、弁護側が提出した新鑑定を踏まえ、「犯行時のものではない疑いがある」として再審を認めたが、高裁は「鑑定手法には深刻な疑問がある」と退けたのである。

決定全文を読んでおらず、あくまで新聞報道の限りだが、これでは白鳥決定が生かされていない。

つまり白鳥決定は、新規・明白な証拠だけでなく、その証拠と、従来の証拠と総合的に判断して「有罪」への「合理的な疑い」がないか判断すべきとしたはずなのに、今回の高裁決定はもっぱらこの「新証拠」のみを批判しているように読める。

しかも今回、地裁段階で検察側が「ない」と主張してきた問題の衣類の写真のネガが、高裁になって一転開示されるという、はっきり言ってあまりにも信義に反する検察のやり口がある。

どうしても高裁決定には疑問が残る。

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by kazuo_okawa | 2018-06-12 23:41 | 司法・ニュースその他 | Trackback | Comments(0)
注目の新潟県知事選は10日投開票され、自民、公明両党が支持する前海上保安庁次長花角英世氏が、立憲民主、国民民主、共産、自由、社民の野党5党と衆院会派「無所属の会」推薦の元県議、池田千賀子氏を破り、当選した。

投票率は58.25%(前回53.05%)と前回より上がったとはいえ相変わらず低い。約4割が投票に行ってないのである。

この結果を受けて、与党はこの勝利は大きいと評価し、マスコミも「今後の政治情勢に影響を与えそうだ」と評価しているが、そもそも、自公系候補は、極力「安倍自民」を隠した選挙でなかったか。

何よりも安倍首相自身が応援演説に行ってない。

これは安倍首相が応援に行けば、かえってマイナスであることを、安倍首相自身が自覚しているからだろう。

これで、安倍首相が「信任を得た」などと言い出すと全くお笑い草である。

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by kazuo_okawa | 2018-06-11 23:54 | 司法・ニュースその他 | Trackback | Comments(0)
森友事件ではないが『水俣病訴訟』も「まだやっているのか」という人がいる。

森友事件は安倍政権が責任を認めないから終わっていないのであり、同様に、水俣病訴訟は国が真に患者の全面救済を果たさない中、何度も幕引きを図ってきたから、いまだに終わっていないのである。

3月28日に下された大阪高裁補償協定訴訟判決はその結論も、その論理のひどさもあまりにお粗末なものであった。
そのお粗末な論理をご紹介するが、そのために、水俣病裁判史を簡単に説明する。

水俣病は、石油化学コンビナート政策という「国策」から生じた公害である。
無論、直接の加害者は有機水銀という毒を垂れ流したチッソにあるが、それを何ら止めなかった国にも同様の責任がある。
チッソの責任が裁判によって認められた後、患者達がチッソとの交渉の結果、将来にわたる全ての水俣病患者の補償をチッソは約束した。
これが「補償協定」と呼ばれるものであり、後々問題となる。

この補償協定は裁判の判決のあとに作られた枠組みであり、当時、裁判を超えるものとして構築された。そしてこの補償協定の対象者(水俣病患者)は、公健法上の「認定」を受けたものという仕組みである。これは歴史的にも画期的な仕組みである。
この仕組みの通り、水俣病患者が、正しく認定されていれば、後に続く、混迷は生じなかった。ところが実際は、この認定制度が、激しく歪められてきたのである。

そのため私達はまず最初に国県の責任を追及する訴訟(これは2004年最高裁で勝訴)、次いで、公健法上の「認定」を求める訴訟を闘ってきた(これも)2012年最高裁で勝訴)。これで本来、補償協定が認められるはずであった。にもかかわらずチッソが拒否したため、三度裁判をせざるを得なくなった。
現在係争中なのは、その第三弾の訴訟、チッソに補償協定を認めさせる訴訟である。

一審判決(大阪地裁)は補償協定の歴史的意義を正しく受け止めた素晴らしい判決であったが、2審判決は最初に結論ありきのひどい判決であった。
要するに、「損害賠償判決を受けたものは、補償協定は受けられない」というのがチッソの理屈であり、大阪地裁は否定したが、大阪高裁はそれを肯定したのである。

無論、我々患者側も、二重に受け取れるといっているのではない。
「判決を超える」補償協定は手厚い補償内容であり、損害賠償で足りない部分を補償すべきと言っているのである。

前置きが長くなったがお粗末な論理な紹介する。
協定外の手続によって別途補償を行うことを予定していなかったというのは一、二審とも同じである。
それは補償協定の補償が手厚いからである。
それゆえここまでは同じであるが、高裁判決はそこからいきなり「二者択一」と決めつけるのである。
これは全く論理の飛躍である。

 いわゆる二者択一論として原判決は次のように言う。
 「本件協定は、協定に応じた者については、そもそも、協定外の手続によって別途補償を行うことを、予定していなかったものと考えられる。すなわち、当事者の合理的意思としては、本件協定に従って補償を受けることは、訴訟による損害及び判決に基づく履行とは、そもそも二者択一の手続として想定されていたものと解することが自然である」(51頁)
 この論理、果たして「すなわち」でつながっているであろうか。

 一見もっともだが、ゆっくり読めば「すなわち」の前後で論理があやまっていることは明らかである。
  
 前段は正しい。なぜなら、協定の補償が十分に手厚いのであるから協定の補償に応じたものが、協定外の手続を選択することは予定していない。
 しかし、そのことから「逆」は言えず、二者択一論を導くことは出来ないのである。

 要するに原判決は次のように言っているのに等しい。
  ①「Aを選べば、Bは選ばない」
  ②「すなわち」
③(「B選べば、Aは選ばない」ので)A、Bは二者択一である。

「すなわち」以下、A、Bは二者択一である、と導く前に、
  「B選べば、Aは選ばない」という重要な部分が書かれていないので
  論理がわかりにくいのである。

  「逆は真ならず」であるが、「逆も真」とみる初心者が陥りがちな極めて初歩的でお粗末な論理的誤りを原判決は行っているのである。

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by kazuo_okawa | 2018-06-10 10:56 | 司法・ニュースその他 | Trackback | Comments(0)
6月1日付日刊スポーツのコラム「政界地獄耳」で映画監督・想田和弘氏のネットに書き込んだ言葉が引用されている。
曰く-
「公文書を書き換えたけど改ざんではない」
「武力衝突はあったけど戦闘ではない」
「つぶせとは言ったけど反則しろとは言っていない」
「物を盗んだけど窃盗ではない」
「人を殺したけど殺人ではない」
「無理やり性交したけど強姦(ごうかん)ではない」
「だましたけど詐欺ではない」
「遅れたけど遅刻ではない」…。

社会現象に敏感な映画監督ならではであり、いずれもニュースで有名になったこれらの言葉を並べるだけでも世の不条理は浮かび上がるだろう。

「政界地獄耳」氏が想田監督のこの言葉を引用するだけでも値打ちがある。

何故なら、<主要新聞は読まない、ネットの気に入ったニュースだけ読む>という層が増えているところ、テレビのワイドショーとスポーツ新聞は広く大衆に知らせるという意味で重要なメディアだからである。
「政界地獄耳」氏は、フィリピン大統領を例に挙げて、「独裁者をたたえる論調」を批判する。
ストレートに指摘してはいないが、「安倍独裁」を称える御用メディアを間接的に批判している。
そして国民が、「やり放題」を気に留めず、あきらめることに慣れてしまう現状を憂い「一億総ゆでがえる時代」と結んでいる。

和田監督の見事な整理にも、「政界地獄耳」氏の論調にも全く同感である。

しかし、このまま「ゆでがえる」になるわけにはいかない。
そのためにどうするか。

「運動」は色々と思いつくだろうが、まずは「あきらめない」ことでである。
これが何よりも肝心である。
次いで「不条理」を広げる。
この「政界地獄変」や想田監督の言葉を広げるだけでも大きいだろう。
そして「声をあげる」

これらのことは誰でもできるだろう。

「ゆでがえる」にならないために、是非あきらめないで頑張りたい。

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by kazuo_okawa | 2018-06-04 07:19 | 司法・ニュースその他 | Trackback | Comments(0)

5月で幕引き!

国会も終盤。
「残業代ゼロ法案」を衆議院で強行採決しても国民の大きな怒りもない。
ならば、この5月ですべて終わりにしてしまおう。
政権側ならそう思うでしょうな。

「私や妻が関係していたら総理大臣も国会議員もやめる」
こう言い切っていた安倍首相がこの5月下旬になって「収賄がない」などと、突然自らの関与なのないことを<犯罪は犯していない>と、狭く狭く言い始めた。
収賄罪の犯罪がなければ許されると言わんばかりで
まるで<セクハラ罪はない>と述べた「お友達」のようである。

その5月末、大阪地検は、森友事件についてすべて「不起訴」と決めた。

理由は「嫌疑なし」「嫌疑不十分」というのみで具体的な理由の説明はない。
とうてい納得できるものではないだろう。
木村市議とも相談の上、検察審査会へ申立てを行うことを決めた。

そして「すべてはここからはじまった」森友国有地情報公開訴訟。
何と、被告国は、同じく5月31日に準備書面を出してきた。
検察が不起訴処分とした31日に、あたかもこの日にちを合わせたかのように…。

そしてその内容は、裁判所の求めた「ごみの存在」には触れず<真実調査義務はない>と肩透かししている。
実質5頁の文字通りの肩透かしである。

しかも裁判所の指摘は昨年から行われているのであるから、こんな5頁の文書を出すくらいなら、もうとっくに出せる話である。
誰がどう考えても半年以上かかるとは到底思えない。

にもかかわらず引き延ばし、引き延ばし(実際国会開会中の1~5月は丸っきりスルーである)ようやく出てきたのがこのありさまである。

しかも示し合わせたように5月末!

一体なんなのか!

はっきり言えることは、国民を舐めている、ということである。

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by kazuo_okawa | 2018-06-03 08:12 | 司法・ニュースその他 | Trackback | Comments(0)
「茶番」第二幕である。

日本共産党志位和夫委員長は5つの重大な事実を示す。
いずれものちに政府が認めた重大な事実である。

①森友学園決裁文書の改ざん
②国森友交渉記録なしとして昨年の国会答弁は虚偽
③その虚偽答弁に合わせて実際に破棄した
④前川「総理のご意向」文書を当初「怪文書」と決めつけ隠ぺいを図った。
⑤柳瀬元秘書官について加計関係者と会っていたことについて昨年虚偽答弁であった

そしてこいういう改ざん、隠蔽、廃棄、虚偽答弁という史上初の悪質なことが何故、安倍政権のもとで起こったのか、と聞いたのである。

しかし、安倍首相は「森友は私の妻が名誉校長、加計は長年の友人で、国民の疑念はもっともであるが、今後は李下に冠を正さずでのぞむ」「行政の長として今後こういうことがおこらないようにする」と述べる。

これが何ら答えになっていないことは明らかだろう。
上滑りの口だけ答弁でだある。

そこで志位委員長が、私の質問に答えていないと、重ねて聞く。

すると安倍首相は「これは言った言わないの議論なので、今後こういうことが起こらないようにする」とまたもすり替える。

志位委員長は、答えになっていない、として意見を述べるがこの途中で 結局時間切れである。

これが果たしてまともな党首討論か。
安倍首相は、言葉遣いだけ丁寧にしながら、質問には一切答えていない。

この安倍首相の卑怯な有様をどうぞユーチューブで確認してほしい。

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by kazuo_okawa | 2018-06-02 21:49 | 司法・ニュースその他 | Trackback | Comments(0)
5月30日に行われた党首討論。
はっきりいって茶番である。

まずは立憲民主党党首枝野氏。
論客であるが19分しかない。

枝野氏はまず森友事件について追及する。
安倍首相が「私や妻が関係していたら総理大臣も国会議員もやめる」と昨年2月に述べていたのが、近時急に「金品の授受はないので問題ない」と矮小化しているのは卑怯な行為だと指摘する。

これに対して安倍首相は、19分の限られた時間を引き延ばしするかのように「私も枝野さんも同じ25年前に当選した」とかなんとか関係ない前口上を延々と述べたうえ、お金の流れの話は昨年3月にしている、従って今回初めてではない、と強弁する。
これは誰が見たってまともに答えていない。

「金品授受があったらやめる」といったのではなく、「私や妻が関係していたら総理大臣も国会議員もやめる」といいていたのである。それが、もはや少なくとも妻の関係は明らかになったために、その発言を打ち消すかのように、「金品の授受はないので問題ない」と矮小化すろことを問題にしているのに、有名な「ご飯論法」で逃げている。

次いで、枝野氏の質問は<私人の総理夫人に公務員の谷氏がつき、その谷氏が財務局へ問い合わせしたこと>の問題を問いただしたとき、安倍首相は、<森友事件の本質はそこにはない。谷氏は「そういう制度をあてはめるべきではないか」と政策を求めた>とこれまた強弁する。

誰が見ても、論点外しである。

しどろもどろであり、まともに答えていない。
無論「丁寧に説明する」とは程遠い。

これが「一国の首相」とは!

あらゆる意味で情けな過ぎる。

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by kazuo_okawa | 2018-05-31 23:06 | 司法・ニュースその他 | Trackback | Comments(0)
ニュースによれば、28日の国会集中審議で重要なやり取りがあった。

そもそも、安倍首相は、加計の獣医学部新設申請は2017年1月に知ったと述べていた。
ところが、愛媛県は、2015年に安倍・加計が会い、安倍首相が「獣医学部新設に、いいね、と答えた」との書類を公開したが、これが真実なら安倍首相は嘘をついていることになる。

ところが、加計学園は、この日総理と会ったこともないと否定した。

しかしこれはこれで問題がある。
何故なら、加計は愛媛県には嘘をついたことになるからであり、利用された安倍首相としては抗議しないとおかしい。
そういう意味で重要な国家審議であるが、 安倍首相は質疑で「抗議をすることについてはそもそもの理由がない」と答弁した。
これ自体、森友事件においては、同じ位置づけの籠池泰典元理事長に対して、「詐欺を働く人物」と批判し、総理を侮辱したとして国会喚問したのとは全く対応が違う。

そして、嘘情報が愛媛県や今治市に伝わり、国家戦略特区への申請につながった、県や市から土地の無償譲渡や多額の補助金を引き出したのであるから、安倍首相は加計に抗議をし、説明を求めなければならない。

共産党の小池晃書記局長はそのように述べて「かんかんに怒らないといけない」と問いただしたところ、安倍首相はこう答えた。
「私は常に平然としています」

あきれるとはこのことだろう。

2015年国会での、野党の女性3議員に対する一国の首相とは思えない下品なヤジ。
一方、自らの答弁中のヤジに対しては過剰なまでの反応(野党議員の「誰もヤジってないぞ」とやじられたこともある)。
あるいは有名な2017年の秋葉原演説における「こんな人たちに負けるわけにはいかない」!

これらは、いずれも「平然」ではないだろう。

もしも、これらの安倍発言が「平然」と行われていたら、それこそそれ自体が大問題だろう。

その場限りで、常にいい加減なことを言っている、ということが本当によくわかる。

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by kazuo_okawa | 2018-05-29 08:38 | 司法・ニュースその他 | Trackback | Comments(0)