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by kazuo_okawa

2019年 04月 18日 ( 1 )

「論理国語」という言葉を知ったのがいつだったか忘れたが、中身はさっぱり分からない。しかし「論理」は好きなので、「論理国語」とはなにか、いつか調べようと思っていた。

要するに2022年からの学習指導要領で高等学校の国語の選択科目として「論理国語」、「文学国語」、「国語表現」、「古典探求」が新設されるとういうものであるが、これだけでは何のことか分からないでしょう。
結局調べる時間はなかったのだが…。
そう思っていた矢先に、アエラ4/8号に内田樹氏の連載コラムで、「論理的な思考を知るのはコナン・ドイルを読めばいい」という表題の一文が書かれたのである。

内田氏もこの「論理国語」の意味は分からないとし、氏は指導要領には立派な事が書かれているが、それを「文学国語」と切り分ける意味は分からないし、実際の「論理国語」のモデル問題を示されそれがおよそ論理的思考を導くとは思えず、むしろ、論理的な思考を知るにはシャーロック・ホームズを読めば良いと喝破して、表題となるのである。

シャーロキアンとしては大変嬉しい記事であるが、しかしまた、はて?と考えさせる。

何故なら、ホームズの推理はいわゆる、論理学的な意味では「論理」で導かれるものではない。
(無論、世界最高峰のエンターテナー文学としては見事に美しい「論理」であるが…)

ホームズの推理なるものは「観察力」に頼っているところもあるし、「当てずっぽう」もある。
(拙著「ホームズ!まだ謎はあるのか?」(一葉社)参照)

無論、そういう観点も含めてのホームズの推理法の分析自体が、論理的な思考を知ることになるということなら、それはその通りである。

まあ、しかし内田氏は、論理国語を否定するために、シャーロック・ホームズを持ってきたのだろう。

それにしても内田氏同様、論理国語の内容も必要性も分からない。
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by kazuo_okawa | 2019-04-18 21:52 | 司法・ニュースその他 | Trackback | Comments(0)