ネットニュースを見れば、
自民党の甘利明選対委員長は31日のNHK番組で、憲法改正について「戦後70年以上がたって今も全部そのまま通ると思うことが間違いだ。政府の解釈で乗り切るのはもうそろそろ限界だ。憲法改正論議はきちんと始めるべきだ」との認識を示した、という。
加えて、衆院憲法審査会が開催されていない現状に関しても「『どうして』と国民は思っている。議論をしていかなければいけない」と主張したとも述べたという。
幾つも間違いがある。
まず「70年たっているから」という、お馴染みの「古くなった」論である。
改憲論者はいつもこれを言う。
しかし、古くなったから変えなければ成らない、と言うのは全く論理的ではない。
内容が素晴らしければ、何年たっても変える必要はない。
例えば、刑法は、ひらがな化や重罰化などの「改正」はあったが、「人を殺してはならない」「ものを盗んではならない」などの根本規範は100年以上たっても変わらない。
こういう根本原理を「古いから」という理由だけで、変えようと思う人はいないはずだ。
憲法も同じである。
「国民主権」「基本的人権の尊重」「平和主義」
この3大原理は古いからと言って決して変えてはならない。
しかし、安倍自民党が画策している「憲法改正」はこの3大原理に手をつけようとするものだ。
この3大原理は決して変えてはならない。
二つ目の間違いは、「解釈で乗り切るのはもうそろそろ限界だ」との発言が、まるで、集団的自衛権の「解釈改憲」は「限界」内のように聞こえる。
しかし、すでに「限界」を超えている。
最後の間違いは、「衆院憲法審査会が開催されていない現状に関しても「『どうして』と国民は思っている。」との点である。
そんな国民はどこにいるのだろう。
「もりかけ」に始まる疑惑から、文書改ざん、統計疑惑など、国民の多くが思っているのは、安倍首相の説明不足である。
そしてそれに加えてごく一部しか潤っていないアベノミクスによるのではない真の景気回復である。
さらに日々の生活におわれる国民にとっては、子育て、雇用、福祉、年金に関心があるだろう。
こういった事よりも、「衆院憲法審査会の開催」に関心をもている国民がどこにいるのか甘利氏には是非教えてほしいものだ。
いやいやそれよりも不起訴になったとはいえ、3年前に問題にされた甘利氏自身の収賄疑惑について(当時、国会を休んで説明せずに逃げたのであるから)説明すべきだろう。
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