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by kazuo_okawa

2018年 06月 04日 ( 1 )

6月1日付日刊スポーツのコラム「政界地獄耳」で映画監督・想田和弘氏のネットに書き込んだ言葉が引用されている。
曰く-
「公文書を書き換えたけど改ざんではない」
「武力衝突はあったけど戦闘ではない」
「つぶせとは言ったけど反則しろとは言っていない」
「物を盗んだけど窃盗ではない」
「人を殺したけど殺人ではない」
「無理やり性交したけど強姦(ごうかん)ではない」
「だましたけど詐欺ではない」
「遅れたけど遅刻ではない」…。

社会現象に敏感な映画監督ならではであり、いずれもニュースで有名になったこれらの言葉を並べるだけでも世の不条理は浮かび上がるだろう。

「政界地獄耳」氏が想田監督のこの言葉を引用するだけでも値打ちがある。

何故なら、<主要新聞は読まない、ネットの気に入ったニュースだけ読む>という層が増えているところ、テレビのワイドショーとスポーツ新聞は広く大衆に知らせるという意味で重要なメディアだからである。
「政界地獄耳」氏は、フィリピン大統領を例に挙げて、「独裁者をたたえる論調」を批判する。
ストレートに指摘してはいないが、「安倍独裁」を称える御用メディアを間接的に批判している。
そして国民が、「やり放題」を気に留めず、あきらめることに慣れてしまう現状を憂い「一億総ゆでがえる時代」と結んでいる。

和田監督の見事な整理にも、「政界地獄耳」氏の論調にも全く同感である。

しかし、このまま「ゆでがえる」になるわけにはいかない。
そのためにどうするか。

「運動」は色々と思いつくだろうが、まずは「あきらめない」ことでである。
これが何よりも肝心である。
次いで「不条理」を広げる。
この「政界地獄変」や想田監督の言葉を広げるだけでも大きいだろう。
そして「声をあげる」

これらのことは誰でもできるだろう。

「ゆでがえる」にならないために、是非あきらめないで頑張りたい。

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by kazuo_okawa | 2018-06-04 07:19 | 司法・ニュースその他 | Trackback | Comments(0)