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by kazuo_okawa

2018年 05月 28日 ( 1 )

日経社説の責任!

「働き方改革法案」強行裁決後の28日の、日経新聞社説は「脱時間給の制度化を今国会で確実に」という見出しの元、脱時間給こと高度プロフェッショナルこと残業代ゼロ法案についてその必要性を論じている。

しかし、その根拠とするところは、結局「先進国に見劣りする日本の労働生産性を引き上げる意義がある」「ホワイトカラーの仕事は成果が労働時間に比例しない傾向が一段と強まっている」の2点にすぎない。

改めて指摘するまでもなく、これはもっぱら使用者の都合に過ぎない。

こんな使用者側の論理だけで強行採決するのはそれだけで不当だろう。
日経が経済新聞だとしても、こんなに露骨に使用者に肩入れするのはどうなのだろうか。

まず、「日本の労働生産性が先進国に見劣りする」というのは、そのデータ自体がいささか疑問である。
それはおいても、労働生産性とは「労働による成果(付加価値)」を「労働投入量」で除したものであり、その付加価値とは「営業利益-(人件費+原価償却費)」であるから、要するに、人件費が低くなればなるほど労働生産性が上がる、というそれだけのことである。

つまり、もっともらしい「経済用語」を並べているが、平たく言えば、人件費を下げたい(残業代を払わずに働かせたい)ということに過ぎない。

次に、「ホワイトカラーの仕事は成果が労働時間に比例しない傾向が一段と強まっている」というのはそうかもしれない。
しかしだからといってそれを、労働者に転化するのは間違いである。
成果の責任はあくまで使用者にある。

このことはかつて、成果給が猛威を振るった20数年前に批判したことがある。
つまり、労基法も認める「出来高給」とそもそも労働法が予定していない「成果給」は区別しなければならない、と。
たとえば、椅子を幾つ作ったかで給与を決めるのは「出来高給」として許される。
しかしその椅子が売れるかどうか(それが「成果」)を労働者に転化するのは無茶だろう。

今回の残業代ゼロ法案はもっともらしく「高度プロ」などと述べるが、結局は、本来使用者が負うべきリスクまで労働者に負わせるというもので、論理的におかしいのである。

無論、労働者の「成果」が企業に爆発的な利益を生み出したときに、それに見合う報酬を労働者に与えるというなら別である。
しかし、そういう利益は使用者が独占するのである。

ならばおよそ公平とは言えないであろう。

この残業代ゼロ法案は「過労死」を生む。

そういう観点からの批判はあちこちでされており、それはそれで正しい。
しかし、高プロ推進者の発想が根本的におかしいことをまず批判すべきだろう。

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by kazuo_okawa | 2018-05-28 23:53 | 司法・ニュースその他 | Trackback | Comments(0)