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by kazuo_okawa

2017年 10月 06日 ( 1 )

日弁連人権大会2日目の特別講演は、2015年以来の石川健治東大教授である。

- 立憲主義について、同じ平面に乗る、プラットホームに乗ることという。
即ちそれは価値中立的であり、敵はいない。
しかしシュミット流に言えば、立憲主義の考え方そのものへの敵はいる。

法学的国家論、国家法人論、天皇機関説などはすべて同じプラットホームに乗った議論。
しかし戦前それを良くないとした歴史がある。
日弁連は立憲主義・法治主義を前提とする。
従って、立憲主義対非立憲となったとき、日弁は強制加入団体であっても立憲主義を守るという立場を貫いていい。

今回の解散は直感的に誰しもおかしいと思う。
招集権は内閣にあるから、解散権も内閣とするのが据わりがよい。
解散に付きかつての制約説がいつしか総理の専権事項といわれるようになった。つまり独裁的統治の在り方となったが、この独裁的在り方は、安倍の個性的なものか、構造的なものかといえば、実は後者だろう。
それは財政的危機の中で財政面のトップダウンを許す社会的要請から、財政面における立憲主義が揺らいだ。
下部構造が揺らぐ中の、上部構造としての法構造も揺らぐ。

加計問題はお友達スキャンダルではなく、官僚中心財政に穴を開けたもの。
財政面における独裁から、独裁者に人が集まる。それゆえ必然的に起こった。

もう一つ招集権についても、53条に反して2015年は招集せず。2017年は引き延ばして招集してすぐ解散。
これは立憲主義に敵対するものとして、声を上げるべきである。
裁判に持っていっても裁判所は答えてくれない。
しかし統治行為論は、「裁判からの自由」であっても、「法的判断からの自由」ではない。

立憲主義と平和主義は本来仲が悪い。
立憲主義は最後は戦う。西洋では平和主義はメジャーではない。しかし戦後日本では抜き差しならない。
立憲主義はどんな権力もコントロールがついている。民主的な権力でも常にコントロールがついている。

9条加憲論にはコントロールがついていない。そもそもコントロールを考えていない人が提案している。
では現状の9条にコントロールはあるのか。コントロールは無いが、よく効いている。
自衛隊は「例外」ゆえにコントロールが効いている。
加憲はコントロールがない。
コントロールが無く、出来ても現状と比較してどうか。現状の方がよい。

法律家は法と自由を最大の価値観とする。
国家の目的との関係で、立憲主義・法治主義にプライオリティを置く。そして、法・自由を最大の目的とする。

ところが今、非立憲の側から別の目的が出てきた。
法・自由よりも国防を優先するというものである。30年代の日本や北朝鮮も間違いなく国防国家である。国防目的の為に、法・自由をはずしていく。しかし、日本は国防優先で無惨な結末の過去を持っている。その象徴が広島・長崎である。それ故、国防優先には反対すべきである。

ニーチェが次のように述べている。
「怪物と戦うときには心せよ。自らが怪物とならないように」と。
北朝鮮と戦うときに、我々が北朝鮮になってはいけない。

国防優先なら、北朝鮮や戦前の日本となる。
それにブレーキをかけてこそ日本である。

プライオリティを前提としたのとそうでないのとは違う。

日弁連は愚直に、法と自由の価値を訴えていくことである。

我々は何故こういう形を選んだか。法・自由をプライオリティの上位においたか。それは戦後、個を取り戻したから。
それを守るパフォーマンスのよかった憲法を変えるのは慎重であるべし。
法・自由を守るために慎重である必要。
ハードランニングは例えば戦争で日本がひどいことになる。
ソフトランニングを目指す。
それがコントロールをつける意味。
それが法律家の役割でもある。-

日弁連は、とかく「強制加入団体」を理由に政治的発言に批判されがちである。
石川教授の講演は、日弁連へのエールである。

憲法の危機的状況で、日弁連は、市民と共に、石川教授の期待に今こそ応えなければならないだろう。


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by kazuo_okawa | 2017-10-06 22:09 | 出来事いろいろ | Trackback | Comments(0)