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by kazuo_okawa

2016年 10月 09日 ( 2 )

死刑制度廃止の宣言を採択するかどうかで注目を浴びた今年の日弁連人権大会であったが、採択された宣言案のうち第一宣言も興味深い。
表題はその一部である。

それに絡めて、私は会場で発言したのだが、おそらく後に会員に配布される報告では私の発言は省略されているだろうから、心覚えのためにブログに記録しておきたい。

一つは、第一宣言は、前日のシンポジウム、とりわけメインの岸井報告を基にしていると思えないことだ。
岸井氏は、メディアが自粛・萎縮して安倍首相に迎合していることを鋭く批判していた。
「私自身はハラをくくっている」とまで岸井氏が決意を述べたことは既にブログにも書いた。
岸井氏自身の自粛事例には挙がらなかったが、「戦争法」という言葉もその一つとして有名である。
安倍首相が目論んだ一連の法律改悪は、それまでの専守防衛からギアチェンジして「戦争出来る体制」に変えたのだからまさに「戦争法」と呼ぶにふさわしい。
現にメディアも当初は「戦争法」と述べていた。
ところが安倍首相がそれを批判した。
するとメディアは、全て「戦争法」という言葉は自粛して、「安保法」と使うようになった。
全くおかしな話である。

メディア萎縮を批判するその岸井報告を受けたなら、この日弁の宣言案も無批判に「安保法」と使うのではなく、「戦争法」と使うべきだろう。
仮に、「安保法」と使うにしても、提案理由で岸井報告とのつながりを一言述べないとおかしい。
それとも昨日の岸井報告は聞いていないのか。
まあ、実行委員は腰が引けていることはないだろうが、日弁執行部は分からない。
私はその観点から先のような指摘をした。

もう一つは、「全力で取り組む」ことの抽象性である。

立憲主義・民主主義の回復のために全力を尽くす!というのは素晴らしいし、是非、日弁連あげてそのように目指してほしい。
しかし言葉で言うのは簡単である。
では日弁連は具体的に何をなすのか。

例えば刑事再審では、日弁連は予算を組んで、再審事件を支援している。
同じように「戦争法違憲訴訟」を日弁連として支援すべきでないのか。
そのような観点から日弁執行部に頑張ってもらうべく(というか、シンポ、宣言案の趣旨からすれば当然である)エールを送って発言した。

ここ数年、同じことを述べているが、日弁連には頑張ってほしい。




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by kazuo_okawa | 2016-10-09 19:54 | 出来事いろいろ | Trackback | Comments(0)
2016年の日弁連人権大会で最大の注目を集めていた「死刑制度の廃止を含む刑罰制度全体の改革を求める宣言」が大議論の末、採択された。
死刑制度廃止の理由は「死刑制度は生命を剥奪する刑罰で国家による重大、深刻な人権侵害」というのが基本的な考えである。
死刑確定事件の再審無罪事件の例が示すように、「冤罪(えんざい)で死刑が執行されれば取り返しがつかない」ことや「国際社会のすう勢」も根拠たる。

賛否約3時間の議論を聞いたが、口調の激しい意見も多く、また、ヤジや怒号も飛び交う近時まれに見る激論であった。

採決には弁護士786人が参加。犯罪被害者支援に取り組む弁護士らから反対意見が出たが、半数を超える546人が賛成、反対96人、棄権144人である。
棄権がこんなにも多いのは過去に経験がない。
それほど難しい、ということだろう。

棄権が予想以上に多かったのは、この犯罪被害支援弁護士の熱い意見を聞いて、もう少し互いの議論を深めた方がよい、と思ったからに違いない。

犯罪被害者支援に取り組む弁護士から繰り返し出たのが「遺族感情」である。
弁護士として依頼を受けた事件で依頼者の為にベストを尽くすのは当然である。
その依頼者が犯罪被害者であり、その遺族が「死刑」を望めば全力を挙げてその実現を目指すべきだろう。私だってそうする。
それが弁護士というものである。

しかしそのことと刑罰制度としてどのようにするのが良いのか、そして日弁連としてどう宣言するかは別問題である。
「いかなる理由であれ、生命は奪わない」
「国家による殺人は認めない」
私はそうあるべきと思う。

とはいえ日弁連は「被害者の人権」にも取り組むべきであろうことは言うまでもない。
たまたま会場での私の座席の配置上、犯罪被害者支援の弁護士の方と会話し、名刺交換が出来たのは貴重であった。
一年に一度の人権大会であるが、同じ法律家同士として、こういう体験が嬉しい。

今年の人権大会の別の決議案は、立憲主義・民主主義の回復を求める決議であるが、そこには平和主義を守るということも決議の内容として含まれている。
9条を守る、平和主義を守るということは、「戦争という国家の殺人を認めない」と言うことである。
一見違う決議案であるが、実は連動している。
今年の人権大会は、実に意義深い。



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by kazuo_okawa | 2016-10-09 00:20 | 出来事いろいろ | Trackback | Comments(0)