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by kazuo_okawa

2015年 09月 22日 ( 1 )

映画「天空の蜂」

原作「天空の蜂」は東野圭吾デビュー10年目(1995年)の作品である。
私はそのころには東野作品にはまっていた。
中身を見ずとも名前だけで新作を購入する推理作家の一人であった。
そしてその「天空の蜂」の映画化-。

【以下、ネタバレしています】

作品のテーマは、父と息子、原発、イジメ、沈黙する群衆。
当時の原作はハードカバーで、帯文句「書き下ろし900枚!」の通りの力作であった。

但し、当時東野ファンであったものの、テーマの多さやある種の荒唐無稽な印象が残り、他の東野作品ほど感銘を受けなかったのが正直なところである。
東野自身、当時の反響を「まるで無反応でしたね」と述べている。

それが映画ではまるで印象が違った。
素晴らしい作品となっている。
原作を、大胆に短くしているところがよい。

活字では、荒唐無稽と思われた「子供救出作戦」が、逆に映像ならではの迫力となって、むしろこのサスペンスに惹きつけられる。
こういうところは映像の持つ力である。

また原作の多くのテーマもうまく残している。

理科系である原作者東野は科学の発展に肯定的と見受けられるが、必ずしもそういう価値観を押しつけない。
原発推進派の子どもがイジメにあうように、原発反対派の子どももイジメにあう。
そしてイジメをする主体の子どもは、大人になっても「沈黙する群衆」となり、むしろその「不気味な仮面」を指弾する。
このあたりは犯人の動機に関係する重要な部分であるが、映画では<落書きの映像>などで短くすませている。
原作のラストはある登場人物のモノローグである。
「『新陽』に落ちた方が良かった。そのことにいずれみんな気がつく」と不気味な予言で締めくくる。

実際に、原作で犯人の狙った「原発空白の日」は、その後現実の日本社会ではフクシマ原発被害を経て「原発空白の日」を迎えた。
にもかかわらず現実の日本政府は原発再稼働をすすめた。

無論、映画には、フクシマ以降も描かれているのだが、原作のラストのような、沈黙する群衆への怒りを秘めた不気味さはない。

好みの問題かも知れないが、私には、映画のここが少しばかり残念である。




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by kazuo_okawa | 2015-09-22 20:03 | ミステリ | Trackback | Comments(0)