龍谷大学での私の講義『裁判と人権』で前期15回の内、1回は特別ゲストを招く事が出来る。
今年度は、元文部科学事務次官の前川喜平氏をお招きし、先週、『憲法と道徳教育』と題して前川氏の講演会を開催した。
今年から、小・中における『道徳』の教科化の完全実施がはじまったことから、その意味を語ってもらうという趣旨である。
教科化とは、道徳の時間を,検定教科書の導入により着実に行われるように実質化し、学習指導要領で進め方を指導していくものである。
前川氏の講演の進め方は、教室を動き回り、学生と問答するソクラテス・メソッド。
例えば「親は敬うべき。これはイエスかノー」
「日本の国を愛すべき。イエスかノーか」
などと学生にマイクを向け、答えさせる。
或いは、実際に小学校の道徳教科書で使われている『手品師』(少年に手品を見せると言う約束を優先し、大舞台に立てるビッグチャンスを断る)や、
『星野君の二塁打』(監督のバントの指示を無視して決勝打を打つも監督から叱られる話)を途中までストーリーを示して、どうすべきかと考えさせる。
しかし、学生に問うと多様な答えのあるところ、教科書自体は、『犠牲』を称える内容である。
つまり、検定教科書自体が、色々な考えのあるところ、『手品師』や『星野君の二塁打』など一つの考えに誘導しているようにうかがえるのである。
憲法は個人の尊重を重視し、多様な価値観を認め合うところ、一つの考えに誘導する事、しかもその方向が「犠牲」を尊ぶなど指摘する。
前川氏は戦前の『道徳』つまり、戦前の体制と教育勅語を説明する。
この道徳の教科化の背景、つまり推進者には戦前のノスタルジーがあると説明する。
そして結論は、道徳教科書は①多様な考えのあるところ一つの方向に誘導する②その方向が、憲法的価値に反する、二重の意味で立憲主義違反である。
以上のことを、前川氏は学生向けにわかりやすく説明された。
前川氏はこれ以上は話さなかったが、『犠牲』の精神を称え、考えさせずに指示通り動くことを褒める、そして一つの方向に導く。
これが何を意味するかは、もはや明らかだろう。
前川氏の講演は、実際に道徳を教える現場の教師にこそ聞いてほしいと思うのである。
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