無事であるためには何が必要か
2019年 01月 03日
産経は普段読まないようなトーンで書かれているので、ある意味で「勉強」になるのだが、1月1日付け産経に、「正論」役者の一人曽野綾子氏の、表題の論考が出ている。
<原則は簡単で、何よりも利己的であってはならない。>
<全て存在する命と運命を分け合うという姿勢がいる。>
災害や原発事故が生じたときに、その地にいた被害者は「たまたまそこにいたから被害にあった」のであり、他の地の無事なものが「利己的にならず」助け合う、ことが重要であるからだ。
言わば「共生」の精神であり、災害を防ぐ体制(強欲資本主義者や原発利権群も「利己主義」を捨て、原発をやめるなど)や万が一被害が生じたときに、その救済システムを万全にしておくなどである。
その意味で「利己的であってはならない。」というのは分かる。
(「運命」という言葉は普通に日常的に使われる言葉だが、「運命に従う」のも「運命に抗う」のもどちらも同じ「運命」だと考えれば、「運命」と分け合えるものが果たしてあるのか、という疑問もある)
これは曽野の結論なのだから、ここでいう「全て存在する命」と「運命」の意味を曾野は説明すべきだろう。ところがそのような説明はどこにもない。
冒頭(戦争で襲われる体験)を読み直したときに全ての謎が解けた。
すると、曽野のいう「利己的」という意味は、「命」を捧げるのは嫌だという精神を指していることがわかる。
私が、先に読んだ「利己的」の意味とは全く違うわけだ。