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by kazuo_okawa
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無事であるためには何が必要か

元旦でもなければ産経新聞を買うことはまずない。

産経は普段読まないようなトーンで書かれているので、ある意味で「勉強」になるのだが、1月1日付け産経に、「正論」役者の一人曽野綾子氏の、表題の論考が出ている。

内容は、第二次大戦で曽野自身が米兵に襲われた空襲体験に始まり、「明日まで生きていられるだろう」というのはななり贅沢な状態と述べる。曽野がそれを知るに至った「キリスト教精神」についてしばらく触れた後、「無事」な一年、繁栄の平成は終わったという。

ここからが曽野綾子節の真骨頂である。

その「無事」の理由の一つに、天皇をあげるのが曽野綾子調であるが(これはこれでどうかと思うが)最後に次のように締めくくるのである。

<この「無事」を継続するには今後どうすれば良いか。>
<原則は簡単で、何よりも利己的であってはならない。>
<全て存在する命と運命を分け合うという姿勢がいる。>

「利己的であってはならない。」までは、日本語として普通にわかる。
災害や原発事故が生じたときに、その地にいた被害者は「たまたまそこにいたから被害にあった」のであり、他の地の無事なものが「利己的にならず」助け合う、ことが重要であるからだ。
言わば「共生」の精神であり、災害を防ぐ体制(強欲資本主義者や原発利権群も「利己主義」を捨て、原発をやめるなど)や万が一被害が生じたときに、その救済システムを万全にしておくなどである。
その意味で「利己的であってはならない。」というのは分かる。

しかし次の「全て存在する命と運命を分け合うという姿勢」というのが日本語としてわからない。
(「運命」という言葉は普通に日常的に使われる言葉だが、「運命に従う」のも「運命に抗う」のもどちらも同じ「運命」だと考えれば、「運命」と分け合えるものが果たしてあるのか、という疑問もある)
これは曽野の結論なのだから、ここでいう「全て存在する命」と「運命」の意味を曾野は説明すべきだろう。ところがそのような説明はどこにもない。
説明ないままに、それを今後の教育の課題と終えるのである。

― これ何が言いたいのか、わかりますか。

私には曽野が何を言いたいのかわからず、もう一度、読み直そうとした。
冒頭(戦争で襲われる体験)を読み直したときに全ての謎が解けた。

曽野は、戦争で襲われることのない「無事」であるために、「命」を捧げよ、と述べているのである。
すると、曽野のいう「利己的」という意味は、「命」を捧げるのは嫌だという精神を指していることがわかる。

私が、先に読んだ「利己的」の意味とは全く違うわけだ。

安倍晋三の腹心稲田朋美はストレートに「国に命を捧げよ」というのだが、さすがに「産経文化人」はオブラートにくるんで表現する。

とはいえ、新年早々に、大変恐ろしいことを述べていることには変わりない。
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by kazuo_okawa | 2019-01-03 09:34 | 司法・ニュースその他 | Trackback | Comments(0)