内戦下のシリアに2015年6月、トルコ南部から陸路で密入国し、武装勢力に拘束されていたとされるフリージャーナリスト安田純平氏が解放された。
その情報を受け、安田氏をめぐる「自己責任」の議論がインターネット上で再燃しているらしい。
24日朝、出かけに「羽鳥慎一モーニングショー」を観ていると、テレビ朝日解説委員の玉川徹氏のコメントが実にいい。
ジャーナリストの役割は、民主主義を守ること断言し、その取材のために、紛争地帯に飛び込むフリージャーナリストの役割は大きく、帰還軍人を英雄として迎えるように、安田氏を「英雄として迎えないでどうするんですか」と主張した。
全く同感である。
改めて言うまでもないが、民主主義の前提として、政府・行政の情報開示、国民の知る権利が認められなければならない。
ときに権力は真実を隠そうとするから、それを暴くために資するのがジャーナリストである。
こういうジャーナリストの果敢な取材無くして民主主義はない。
にもかかわらずこれを否定して「自己責任論」などというのは、自らを「非民主主義者」と名乗るに等しいであろう。
それにしても、かつて戦場におもむき、「戦場の村」など精力的なルポを発表していった朝日新聞記者本多勝一氏の時代から何ら進歩していない、と感じざるを得ない。
当時も、右翼の嫌がらせなどがあったからである。
いや、危険な取材は、正規社員がするのではなく、フリージャーナリストに任せる今日の構造からすれば、ジャーナリストの側も、国民の側も、状況はひどくなっているのだろう。
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