補償協定水俣病訴訟のご支援に御礼
2015年 02月 27日
私は、傍聴・ご支援の呼びかけをこのブログその他で行いましたが、たくさんの方が来て頂き大変嬉しい。
水俣病訴訟を新しく起こしたというと、「ああ、新聞で出ていましたね」という反応があるが、そちらは、特別措置法の適用を求めるものであり、私達の訴訟とは全く違う。
発想が根本的に違う。
かくも水俣病の歴史はなかなか人々に理解されていない。
ここが非常に残念である。
一言で言えば、水俣病の歴史とは、「隠蔽・幕引き」との闘いの歴史である。
先の特措法も幕引きの法律と考えている。
この法律による救済を求めれば裁判その他は求められない。
文字通りこれで最後の法律なのである。
我々は幕引きの法律の適用を求めているのではない。
ひるがえって水俣病の歴史をみればどうか。
①水俣病は、石油化学コンビナート政策という国策の中で生じた公害であり、原因たる有機水銀を垂れ流したチッソに責任があるのはもとより、適切に規制しなかった国・熊本県にも責任がある。
②一方、公害健康被害救済法(公健法)で水俣病と認定された被害者には行政救済が受けられる。
③さらにもう一つ、公健法の認定を受けたものは、チッソが謝罪・救済するという特別の補償協定が結ばれていることからそちらを選択することが出来る。
さて①の責任を認めさすことが難しく、多くの訴訟が低額和解をして訴訟をあきらめる中で、唯一、我々関西訴訟だけが訴訟を継続し、2004年に国県の責任を認める最高裁判決を勝ち得た。
①の裁判の中で、国賠法上の「水俣病」と認められたものは、当然に公健法上の水俣病と認められるべきであるが、こういう当たり前のことも、国らは認めなかった。
結局それを認めさすために再び訴訟が必要となり、2014年最高裁はようやく、国賠法上の水俣病も、公健法上の水俣病も同じだとして、原告らを勝たせた。
そうなると③当然、チッソはもともと約束したことを守るべきであるが、実際にはチッソは無視した。
そこで、本件原告(正確には水俣病患者であった母の相続人が原告)が、チッソに対してもともと約束したことを守れよ、というのが本件訴訟なのである。
わかりにくいかもしれない。
しかし、分かりにくくしたのは実は国なのである。
国は何度も水俣病事件の幕引きをはかった。
一番大きいのは1995年の幕引きであり、多くの訴訟は和解で終わったが、我々関西訴訟のみが和解を拒否した。
そして多くの方のご支援のもと、先の①の判決を得た。
しかし、国賠法上の水俣病はが認められても、それが公健法上の水俣病ではないという、大変おかしな抗弁で、国は頑なであった。
しかしこの②も2013年最高裁判決で、国賠法上の水俣病も、公健法上の水俣病も同じという、極めて当たり前の判決が出たのである。
我々の原告は、②の認定まではいった。
しかし、チッソは認めない。
かくて原因者チッソはもともと認定患者への救済を約束したことを守れ、というのが本件訴訟なのである。
我々からすれば、極めてシンプルな訴訟である。
引き続き皆さんのご支援お願いします。
【追記】
次回期日は、4月30日(木)午後1時半より
大阪地方裁判所1009号法廷です。