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by kazuo_okawa

村上春樹「ドライブ・マイ・カー」に対する抗議について

いささか旧聞に属するが、ニュースに寄れば、作家の村上春樹氏が月刊誌「文芸春秋」の昨年12月号に発表した短編小説「ドライブ・マイ・カー」の記述に抗議の声があがったという。
 即ち、俳優の主人公が、専属運転手で中頓別町出身の24歳の女性と、亡くなった妻の思い出などを車中で語り合うが、その女性は同町について「一年の半分近く道路は凍結しています」と紹介した際、火のついたたばこを運転席の窓から捨てたところ、主人公の感想として「たぶん中頓別町ではみんなが普通にやっていることなのだろう」とする記述に対して、北海道中頓別町の町議がたばこのポイ捨てが「普通のこと」と表現したのは事実に反するとして抗議した。町議によれば「町の9割が森林で防火意識が高く、車からのたばこのポイ捨てが『普通』というのはありえない」からという。

 村上氏は単行本にするときには町名を変えると表明したため、問題は収拾したが、これは大変興味深いニュースであった。

 地の文と、物語の登場人物の主観的感想とは位置づけは全く違う。

 地の文で、事実と違う記述をするのは基本的に許されないであろう。
 本作で言えば、地の文で「中頓別町ではみんなが普通にやっている」と書けば、これは大問題である。作者は批判されてしかるべきであろう。

 しかし、登場人物の感想は別である。
 極端に言えば、まさしく、作者が作り上げた人物(非常識な人物の場合もある)の感想なのであるから、世間一般からいって非常識な感想でも語らせることが出来る。
 とはいえ、何故そのような人物なのか、何故そのような発言をさせるのかという、物語創造の神である作者にとっての必然性は必要だろう。

 このように思うのは私自身が長年の本格ミステリファンだからである。

 精緻を極めた本格ミステリは、地の文や登場人物の発言・感想など全てが作者の計算のもとに作られる。仮に、登場人物が、事実に反する発言・感想をすれば、そこに何かがあると考えるのが普通である。
 例えば、そのような事実と違う感想を言うその人物は、「世間知らずの人物」であるとか、「たった一つの例で一般化する人物」であるとか、何らかの、作者としての意味づけがあるだろうと思うのである。
 そして、事実と違う感想を述べたことによって、その登場人物が前述のような人物であることが読者に推理され分かる、というのでなければならない。

 佐野洋氏があげられた例だったと思うが、警官が、組織上あり得ない発言をすれば、その警官は実は「偽警官」となる。
 このように、本格ミステリであれば、それが事件の謎を解く手がかりに成るかもしれないのである。
 逆に言えば、何らの必然性もなく作中人物にそういう発言をさせるのであれば、読者に余計な(無意味な推理などの)負担を追わせるだけであり(不快な記述なら、尚更問題である)、「意味づけ」の無い記述は本格ミステリとしては「駄作」ということになる。

 さて、本格ミステリファンとしての感想を述べたが、本件の一番の問題は、物語の登場人物の一感想をそのまま信ずるという読者の存在を前提にしている事であろう。

 この日本では、新聞などのマスコミ報道をそのまま鵜呑みにする人が多い。
 無論、そのこと自体が問題である。
 ましてや、単なる架空の物語の、それも一登場人物の単なる感想を本気で信ずるというのは論外なのである。
 
 この国で必要なのは、メディアリテラシー、或いは、架空の物語や根拠の無い話は信じてはいけないという、合理的な考え方を啓発すべきであろう。

 村上春樹のこの表現を抗議した「町議」も政治家ならば、まずなすべきは、この「啓発」をすべきではなかったかと、私は思うのである。

【2022年3月29日追記】
濱口竜介監督による映画『ドライブ・マイ・カー』が2022年のアカデミー賞国際長編映画賞に選ばれた。
おめでとうございます!



by kazuo_okawa | 2014-02-21 00:39 | Trackback | Comments(0)