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私の趣味やニュースの感想など好きなことを発信するブログです


by kazuo_okawa

京大タテカン裁判

何かとお世話になっている京大高山佳奈子教授から興味深い訴訟の連絡を受けた。

表題の通り、京大タテカン訴訟である。

訴訟は、京都市の屋外広告物条例を基に京都大がキャンパス周辺での立て看板の設置を禁じている問題で、京大職員組合が、同条例は表現の自由を定めた憲法に違反するなどとして、市と京大を相手に慰謝料500万円を求めて提訴するというものである。

いうまでもなく、タテカン(立て看板)は京大界隈の「名物」であった。
オーバーに言えば文化とも言える。
京大在学中、4つの研究会・サークルに属した私としてはタテカンは非常に懐かしい。

ところがこのタテカンを京都市の指導を受けた京大が看板設置を指定場所に限定し、違反した看板は撤去するというルールを2018年5月から適用している。

京大職員組合は遅くとも1960年にはキャンパス内外に立て看板を掲出してきた。だが2018年5月と20年6月、道路に面した京大敷地に設置した組合の活動内容を紹介する看板を京大に撤去されたという。

そこで京大職組の役員である高山佳奈子教授から呼びかけがあったのである。
京大職組は、2004年の国立大学の法人化以降の極端な常勤教職員削減と非常勤職員の困窮のため、毎年組合員数が大きく減少しており、数年にわたることの見込まれる憲法訴訟を維持するには資金が足りない、そこで、裁判をご支援いただくためのクラウドファンディングを開始したというものである。
https://camp-fire.jp/projects/view/363762

ファンディング協力のリターンの一つは、「タテカンが復活したあかつきには、京都大学職員組合の立看板にご芳名を表示する」という。

いやあ面白い。
真面目な憲法訴訟ゆえ、面白がってはいけないが、ノータイムで協力しました。

# by kazuo_okawa | 2021-04-23 06:59 | 司法・ニュースその他 | Trackback | Comments(0)
公選法の「改正」により自己の望むヘルパーの代筆が禁じられたその「改正」公選法は違憲だと問う訴訟。
第一審敗訴後直ちに控訴した。

2021年4月19日午前11時、その訴訟の控訴審第1回口頭弁論期日が開かれた。

裁判の内容は、控訴人(原告)控訴理由書、準備書面1、2陳述、
被控訴人国答弁書、第一、第二準備書面陳述である。
そして提出書証の確認。

それらの手続きの後、まず私が、控訴人の主張を口頭で要約陳述。
- まずは原判決が健常者の視点しかなかったという差別性から指摘する。
そして控訴理由の要点、原判決が憲法、条約の視点に欠けること、憲法判断基準は厳格基準たるべき事、国賠法上の違法性その他広く原判決の不当性を指摘する。
続く準備書面は、被控訴人の主張を受けた反論である。

例えば国は秘密投票権について、もともと控訴人はヘルパーに明かしていたことから、秘密投票権の制約を受けていたことを理由とする。
しかし、ここには私人に明かすことと、公人(公務員)に明かすことの違い、すなわち憲法は権力・公務員に対する規制であるという認識がない。
つまり国の主張は、憲法的視点が欠けることを重ねて指摘した。

次いで控訴人本人の意見陳述。
- 私は原判決を受け入れられません、と力強く口を開く。
私たち障害者は,「社会における事物,制度,慣行,観念その他」様々な場面で足を踏まれ続けてきました、と続ける。
そして改正前まで行ってきたヘルパーや家族による代筆を認めてほしい,と述べ、さらに、誰が代筆するか、事務従事者では不都合な理由を明らかにする。そして、「制約」されることがやむを得ない基本的人権などないことなど控訴人の熱い思いを率直に自身の言葉で語り、「その足をどけてください」と締めくくった。

素晴らしい組み立てである。
何故なら、彼はかつては、ヘルパー等による代筆投票が出来たわけだ。
しかしそれが「改正」で出来なくなった。
つまり足を踏まれたわけだ。
だから何も難しいことを求めているわけではない、ただその足をどけてほしい。
RBGの著名な言葉を引いて締めくくったのである。

裁判自体は結審となり、次回は判決となった。

判決は2021年8月30日午前11時(202号法廷)である。

是非多数傍聴にお越し頂きご支援をいただきたい。


# by kazuo_okawa | 2021-04-22 05:05 | 出来事いろいろ | Trackback | Comments(0)

アスリートの思い…

15日、新型コロナウイルス感染がさらに拡大した場合に東京五輪・パラリンピックの中止が選択肢になる「誰が見ても無理だと判断する状況になれば、やめるのが当然」とした二階俊博自民党幹事長の発言が、何せ与党幹部の発言ゆえに波紋を呼んだ。

これで冷静に五輪中止の議論が出来れば望ましい。

何せ菅首相が訪米し、バイデン大統領に五輪のお墨付きをもらおうとしたところ、冷たい対応であったことは徐々に広がっている。
「親分」アメリカが五輪中止なら、日本も従うだろう。

しかしテレビは未だに五輪ヨイショなのだろうか。
例えばワイドショーのコメンテーターが、五輪中止はこれまで頑張ってきたアスリートの事を思うと中止と言えない、等という。

こういう場合、たいてい司会などが、反対の意見もそれとなく紹介してバランスをとるのだが、五輪に関してはまずない。
つい先日も,NHKが五輪反対の声を消したことが問題視されていたが…。

アスリートの思いはそれはそれで尊い。
しかし、一方、医療崩壊のもと、十分な治療が受けられない患者、その家族らの思いはどうなのか。
まして、「祭り」に1万人の医師を派遣するとあっては誰が納得し得ようか。



# by kazuo_okawa | 2021-04-21 06:30 | 司法・ニュースその他 | Trackback | Comments(0)

世界が見た質問スルー

事務所で購読している日経新聞の4月17日付夕刊の一面は日米声明「台湾を明記」だが、一面左下の五輪の記事は「五輪へ支持得た」との小見出しである。
この小見出しだけでは、バイデン米大統領は、日本の五輪を指示しているように見える。

しかし記事は<菅義偉首相は16日午後のバイデン米大統領との共同記者会見で、バイデン氏から今夏の東京五輪・パラリンピックの開催の決意に支持を得たと述べた。「世界の団結の象徴として五輪開催を実現する決意を述べ、改めて支持をもらった」と語った。>というものであるから、内容をよく読めば、単に「決意」の支持でしかない。

帰宅後、朝日、毎日を読めばやはり「決意」の支持であることは分かるのだが…。

そのような感想をもっていたところ、19日の日刊スポーツ「政界地獄耳」は明快である。
見出しは「五輪どころではない菅外交」

バイデンの五輪参加慎重姿勢を示し、記者の質問に菅首相が明確に答えていないという質問スルーから「五輪開催後押しのお墨付きとはならない」という。

同日発売(20日付)日刊ゲンダイはもっと辛辣である。
一面見出しが「バイデン五輪協力冷淡対応」である。
記事によれば最初から最後までバイデン大統領は「オリンピック」という単語を発しなかったという。
バイデン大統領が、五輪開催支持でないことは実によくわかる。
ゲンダイは3面見出しも「冷酷だったバイデンと米メディア」
「質問スルーは国外では通用しない」と日本で切り抜けてきたスルー手法も批判している。

とまあ、政界地獄耳、ゲンダイの指摘の通りだろうと思っていたら、今朝20日の毎日
新聞朝刊の大治朋子氏の署名コラム「火論」に「首相の質問無視」とのテーマで、当
初五輪を「コロナに打ち勝った証」と言ってたのが「世界の団結の象徴」とすり替
え、なのに「世界の問いかけを無視している」と批判している。

大手紙でこういう指摘があるのがいいことだが、もっと早く、且つ、大きく批判し得
ないものだろうか。
【追記】
その後、この「スルー」について問われた菅首相は「自分に対する質問とは思わなかった」という。
「スルー」の理由は答えようがなかったからごまかしたと思われるが、仮に、あの状況で自分への質問と思わなかったとしたら、もはや論外の能力であり、このような方は政治家になるべきではない。


# by kazuo_okawa | 2021-04-20 09:46 | 司法・ニュースその他 | Trackback | Comments(0)

超能力者の報道の意味

4月13日放映のNHK「ダークサイドミステリー 超能力の謎を解明せよ!~千里眼事件の光と闇」を録画で見る。

内容は、今から100年以上前に、透視、念写という次々現れる超能力者に、東大の学者が振り回されるという非常に面白い内容である。
超能力者の主役は、御船千鶴子と長尾郁子である。
この二人を、天下の学者が色々と検証実験し、確かに、「透視」や「念写」が実現するのだが、一方、「透視対象物」を必ず事前に別の部屋に置かせる、ことなど、トリックだという告発がなされる。

ところがこの後、二人の超能力者は、自殺・病死と相次いで亡くなってしまう。

番組は「確たる検証ができないまま歴史の闇に消えた」
「詐欺、フェイクの検証も厳密ではない」
「千里眼の存在はいまだ立証されていない。しかし、ないとは言えない」
などという。

「手品」であるのに、そうとは断言しない。

超能力者なるものは、明治時代のみならず、その後も、ユリ・ゲラーや、スプーン曲げ少年に見られるごとく、インチキ超能力者はあとを絶たない。
だからこそきっちりと科学教育を行う必要性を感ずるのである。

そして自称超能力者の、検証実験は、マジシャンこそ立ち会わせるべきである。
学者ほど、だまされやすい者はない。
トリックの専門家ではないし、また学者は、新しい能力が発見されてほしいという「確証バイアス」が働く。
そういう意味からも、超能力に関しては、学者の検証は大いに危険なのである。

マジシャンの側からは、何度も、こういう提案をしている。
しかし番組は、無論、マジシャンたちのそんな動きには一言も触れない。

番組は、「確証バイアス」などには触れているが、果たしてこの番組を見た視聴者は、今後超能力を信じなくなるかといえば決してそんなことはないだろう。

新型コロナがまん延する中で、今こそ科学的・合理的な判断が必要とされる。
そんなときに、NHKは一体、どういう目的で、この番組を作ったのか、それが不思議である。


# by kazuo_okawa | 2021-04-19 07:49 | マジック | Trackback | Comments(0)