私の趣味やニュースの感想など好きなことを発信するブログです


by kazuo_okawa

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飯島一次氏の新作である。
父親は誰からも一目置かれ、慕われた同心。
その二代目の同心が本作の主人公植草平助。
それを助ける小物(部下)に佐吉。
つまり平助、佐吉コンビである。

作者はシャーロキアン。
ならば、平助、佐吉コンビはホームズ・ワトスン・コンビかと思うとそこは一ひねりしている。

主役平助は、「のたり同心」のあだ名の通り、へらへらし、あまり仕事(事件解決)に興味がない。
そこを佐吉をはじめ、回りの者が支える。

そこで起こった奇妙な事件。
死者の口の中に、黄金が何枚も入れられているという実に不可思議な事件である。
さて真相はいかに。

全体のタッチは読みやすく、人情話風に話を運び、そして謎解きで落とす。
シャーロキアンならお馴染みのシュロック・ホームズ・シリーズを思わす。

続編が楽しみである。


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by kazuo_okawa | 2016-07-31 22:48 | ミステリ | Trackback | Comments(0)

水俣病と週刊新潮!

小池百合子氏と水俣病については先のブログで述べた。

水俣病事件史で思い出すのは、週刊新潮の「御用誌」ぶりである。

水俣病患者が訴訟をすることについて、週刊新潮は次のように書いた。
<普通の人は、あなたは病気でない、といわれれば喜ぶだろう。しかし、この世の中に、あなたは病気でない、といわれて怒る人がいるのである。それが水俣病患者である>

要するに、訴訟する水俣病患者は「ニセ患者」だといわんばかりである。
これで成る程と共感する人は少ないと思うが、この変なレトリックに騙される人も少なからずいるだろう。

「水俣病患者」と名乗るだけで受ける差別の苦しみを理解していれば、およそこういうことは言えない。
いや週刊新潮はそういうことを知りながら、それでいて、あくまで権力に迎合した報道を続けているのである。
無論私たちの水俣病訴訟原告は、その後、裁判所でも水俣病患者と認められている。
しかし、週刊新潮からの謝罪は全くない。
このケースから分かるのはデタラメと分かっていても、週刊新潮は権力にすり寄っているのである。

水俣病事件史からすれば、週刊新潮も小池百合子氏も(その主観的意図の濃淡は別として)、水俣病事件の幕引きを画策した側である。

そしてその、週刊新潮が、今、小池百合子氏のライバル鳥越俊太郎氏を叩いている。




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by kazuo_okawa | 2016-07-29 22:29 | 司法・ニュースその他 | Trackback | Comments(0)
お試し改憲や、災害・テロを口実とした改憲として『緊急事態条項』が挙げられています。
しかしこのような改憲は全く不要です。

そもそもこのような事態には憲法改正しなくても「法律」で出来ることであるうえ、むしろ安倍自民党が画策しているのはそれにかこつけて「人権を制約する」というとんでもない内容です。

今回大阪弁護士会では、それをわかりやすくリーフレットを作りました。

色々な集まりでぜひお使いください。


大阪弁護士会HP:新着情報、お知らせ欄にアップされています。
http://www.osakaben.or.jp/info/2016/2016_0726.php
ツイッターはこちら。
https://twitter.com/Osaka_Bar_Info




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by kazuo_okawa | 2016-07-27 19:59 | 出来事いろいろ | Trackback | Comments(0)

小池百合子氏のこと

小池氏を初めて意識したのは、2004年に最高裁が国・県に対し水俣病発生の責任を認めた画期的な判決のあとの環境省交渉の時であった。

このときに対応したのが小池環境大臣である(当時)。
小池氏がこのときに政治家として、そのもてる力を発揮していれば、まさしく歴史に残る「名大臣」になる可能性もあった。
しかし、小池氏が官僚答弁に終始し、まともな対応をしなかったことは、水俣病事件史のその後の混迷をみても分かるとおりである。

とはいえ、話術も存在感も申し分ない。
加えて、官僚の用意した答弁は絶対に崩さない。
私は当時、さすが(デレクターの指示通り動く)「名キャスター」と妙な感心をしたものだ。

しかし、彼女は、真のキャスターでもなかった。

そのことは、私のブログ、2013年10月29日付け「小池百合子の驚くべき発言」で記した通りである。

すると彼女は一体どういう価値観で、何のために、政治家をしているのか。
はっきりいって不思議でならない。

嬉しいことに私のブログ2013年10月29日付け「小池百合子の驚くべき発言」へのアクセスが増えているために、さらにブログした次第である。

【7月28日追記】
本日とある新聞社の記者から電話がかかってきた。小池さんが、2004年当時のことを演説でふれて、水俣病患者に会い政治家として成長した、というようなことを話しているらしい。たしかに小池氏はその後私的諮問機関「水俣病問題に係る懇談会」を開きその後その答申にのって色々なことが行われるのであるが、私たちは、行政が用意したレールに乗っただけのあらたな「幕引き作業」と捉えている。そしてそれはその後の混迷を生み出したことからも明らかである。

【同日追記】
考えてみれば小池氏のお陰で、水俣病事件(とりわけ2004年時)が注目され、私のブログにもアクセスが増えたり、マスコミの方の問い合わせもある。しかし、より本質的なこと、2004年最高裁判決が出ても何故水俣病問題は解決していないのか、そのことに小池氏は責任を感じていないのか、マスコミの方は小池氏に是非とも問いただしてほしいものである。


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by kazuo_okawa | 2016-07-26 22:42 | 司法・ニュースその他 | Trackback | Comments(0)
第64期王座戦、羽生善治王座への挑戦者を決める重要な一戦がニコ生で生中継された。
何せ挑戦者決定戦に名乗り挙げたのは佐藤天彦名人対糸谷哲郎八段。
羽生世代や渡辺竜王でないのがいい。
しかも現名人対元竜王という屈指の好カードである。

そして名人得意の後手番横歩取りである。
何せ名人奪取の原動力となった佐藤名人のエース戦法である。
無論糸谷も避けない。
ここがいい。

いやあプロ同士にふさわしい素晴らしい闘いである。

そして終盤、どちらが勝つか分からない、スリリングな闘いを糸谷八段が制した。

羽生王座との対局は非常に楽しみである。

途中、どちらを応援するかのニコ生視聴者アンケートに、糸谷がダブルスコアの人気であったのには驚いた。
普通はご祝儀でなくとも佐藤新名人が多いのかと思ったのが…。
直ちに、コメントには「タイトル分散」「戦国時代」などのことば出ていたが、ファンはまだ佐藤新名人が次代の覇者とみていないということなのだろうか。

佐藤名人を筆頭にようやく出てきた若手実力者たち。
糸谷の羽生王座との対局は実に楽しみである。

【追記】
そういえば糸谷はかつてNHK杯の決勝で羽生に負けたことがあるが、その後に、糸谷は「羽生さんに借りをを返す」と言ってたそうである(関西将棋会館での香川番長の解説による)。
借りを返すに、最高の舞台が整った。



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by kazuo_okawa | 2016-07-25 22:01 | 将棋 | Trackback | Comments(2)
土曜日、遠方の出張の行き帰りに表題作を読む。

大川氏は名うての将棋ライターであり、本書は、プロ棋士を陵駕しようとしている将棋コンピューターソフトについて、羽生善治三冠や渡辺明竜王など、プロ棋士11人にロングインタビューを敢行したものであり、大変興味深い。

行き帰りに一気に読み終えた。
プロ棋士とコンピュータソフトとの関係、実力差などここ数年のテーマでもある。
内容は観戦将棋ファンとして非常に興味深い。

私自身は、現在、将棋コンピューターソフトがトップ・プロ棋士の実力を上回っていることは間違いないだろうと思っている。
とはいえこれは「異種格闘技戦」であるから、ルール如何で棋士も勝つだろう。
しかし、完全に負ける日が来るのも時間の問題である。
ではそうなっても、人間同士の闘いは魅力がある。
人が懸命に知力を振り絞る姿はそれ自体感銘を受ける。
それが素晴らしい手を生み出したときは感動を呼び、また逆に人間は「ポカ」をするからそこにはドラマがある。
私はそのように思っている。

幾らイチローでも時速180キロでるピッチングマシンの球は打てないだろう。
だからといって「それがどうした」、というだけの話である。
無論、棋士同士の観戦に魅力があるのは(人間として)最高のパフォーマンスを魅せてくれるという前提があるからである。
そこが崩れていたのでは、将棋コンピューターソフトがどうのこうのという以前の問題である。

印象に残ったのは、棋士がいずれも真剣に自らの存在意義、職業としての意義を考えていることである。
当たり前といえば当たり前かも知れないが、トッププロは単に自分のことだけでなくて、業界全体のことを考えているということだろう。

一将棋ファンとして、大変、印象に残った本であるが、一般化して、技術の進歩,AIの発展により「消えていく職業」というテーマは、棋士に限らない。
そしてAIとの共存はどうあるべきなのか。

我が法曹界に照らしても、色々と考えさせられる。
パソコンの発展により、「タイプライター」という職業はなくなった。
この先、事務の仕事はどんどん少なくなっていくだろう。

「不屈の棋士」に、将棋コンピューターソフトを使っても自分で考えなければ読む力は落ちる、と多くの棋士は述べているがその通りだろう。

私たちの世界でも「判例検索」が容易になったことで、事案の結論は予測しやすくなったが、そのことは、「判例を変える」というダイナミックな力が落ちてきているのではないかと思わせる。

これは一例だがその他、何やら、将棋界に限らず色々なことを考えさせられる、ある意味で大変怖ろしい本である。





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by kazuo_okawa | 2016-07-24 21:09 | 将棋 | Trackback | Comments(0)
朝日新聞7月14日付けオピニオンは、バーニー・サンダースの「グローバル経済 大多数に役立たぬ 今こそ変革」と題する論考である。

アメリカでは今や上位0・1%の人々が下位90%の合計に匹敵する富を有している。
4700万人のアメリカ人が貧困に至っている。
そして医療、教育が行き渡らないことを訴え、グローバル経済が大多数には役に立たないと指摘する。
まさに超格差社会である。
無論、トランプとは違う。
トランプの移民排斥感情、民衆扇動を的確に批判し、むしろ世界レベルでの、軍縮と、戦争の要因たる貧困、憎しみ、絶望、無学を無くす取組を訴える。

朝日のこのサンダースの記事は大変素晴らしいが、惜しむらくは、何故、参議院選挙期間中に掲載しなかったのかということだ。

アメリカべったり、グローバル経済べったりの「アホノミクス」に遠慮したのだろうか。

サンダースの演説を聴こうと思い、ネット・サーフィンして驚いた。
何と彼は、1991年の湾岸戦争勃発時ブッシュ大統領がその戦争について議会に承認を求め、大多数が賛成するなかで、彼は敢然と反対票を投じている。
湾岸戦争勃発の翌日のアメリカ議会での彼の反対演説は、一人しか聞き手がいない(議会大多数空席で行われた)。
しかしその内容は、実に未来を見据えた大変素晴らしいものである。

彼は、戦争反対の反対票を投ずるとき「これで議員人生が短くなる」と思ったそうである(バーニー・サンダース自伝より)。
仮に、議員人生が短くなっても、国中が戦争一色になっても、そして大多数が賛成票を投じても、自らの政治的信念を貫く。
これこそ本物の政治家だろう。

日本では与党・野党問わず、我が身の地位のことしか考えない政治家(いや政治屋)があまりにも多すぎる…。




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by kazuo_okawa | 2016-07-22 22:37 | 司法・ニュースその他 | Trackback | Comments(0)

大橋巨泉氏死す!

大橋巨泉氏の言葉で私が一番好きなのは
「あの面白い麻雀ですら将棋に比べれば児戯に等しい」と喝破していたことである。
将棋ファンの私としては実に嬉しい。

大橋巨泉氏は「テレビ」という、ある意味で一番世間の動きと通ずるところで、時代を読み、真理を読み、そして一時代をなした。
彼の提言には、成る程と、教えられることも多かった。
一見、エンターテインメントの司会者のようで彼はそれに留まらなかった。

しかしながら、例えば、彼の代表作とされる「クイズダービー」は、他人が何と答えるかを当てるゲームであり、とかく、他人の行動をよむ日本人の感性に良くも悪くも合致している。
そしてクイズダービーの最後は「はらたいらに全部!」というお決まりのフレーズの終わり方は、「みんな一緒に、安全に」でしかない。

大橋巨泉氏は大変魅力的なタレントであるが、彼が一番嫌った「同調圧力」を、実は、大橋巨泉氏の番組自体が醸し出していたのではないか、と私は思っている。



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by kazuo_okawa | 2016-07-21 23:41 | 司法・ニュースその他 | Trackback | Comments(0)
何年か前から使われ出したこのフレーズ。
本来、この言葉は批判的に使われたはずだ。

にもかかわらず未だに蔓延して衰えをしらない。

先の参議院選挙結果。
多くの野党統一候補を応援し、また、投票率アップの受け皿としての「国民怒りの声」(小林節代表)を応援したが、結局戦い敗れた。
推薦してきたものの責任として、その総括をどのようにすべきか、私自身未だ考え込んでいる。

日本の未来を全く考えず原発再稼働を許し、戦争法政策をとり、アメリカの尻馬に乗って、保守派の知恵で約70年守り抜いてきた「平和外交」を捨て去る。
安倍首相の政策自体が「今だけ、金だけ、自分だけ」であることは間違いないだろう。

問題は、これが恥ずかしいことだと、国民の批判がないことだ。

我が国の不幸は、全てを知った「エリート」(括弧付きエリートである)たちが、この日本の在り方を正すわけでなく、そのカラクリ(構造)を知りながら、そのレールに乗ることだろう。

「今だけ、金だけ、自分だけ!」は恥ずべきことである。
そういう思いがもっと広がってほしい。



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by kazuo_okawa | 2016-07-20 22:58 | 出来事いろいろ | Trackback | Comments(0)

村上春樹氏の言葉

7月18日付の日経新聞朝刊のコラム「春秋」に、
「学校の体育の授業というのは、人をスポーツ嫌いにさせるために存在しているのではないのか」という村上春樹氏の随筆が引用されている。
さすが村上春樹氏である。
成る程と同感する人も多いに違いない。

しかしこの言葉は、体育に限らず英語や数学、何でもあてはまるのではないか。
例えば、「学校の数学の授業というのは、人を数学嫌いにさせるために存在しているのではないのか」等々…。

それにつけても主権者教育である。

我が国では本質的な意味での主権者教育はない。
無論、だからといって、自ら学ばなくてよい、ということにはならない。
先の参議院選挙で思ったのは、我が国では、多くの人があまりに主権者意識に欠けるということである。
あまりにも他人任せ…。
あまりにも考えない…。
結局、そのツケは自分に回って来るのだが…。

「学校の社会の授業というのは、人を政治嫌いにさせるために存在しているのではないのか」
村上春樹氏の言葉から類推して、ふと思ってしまうのである。



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by kazuo_okawa | 2016-07-19 17:26 | 出来事いろいろ | Trackback | Comments(0)