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by kazuo_okawa

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宮崎アニメには関心はなかったが
映画「真夏の方程式」を観に行ったとき
「風立ちぬ」の予告編が突出して長いことから
疑問点をもち、それについては既に書いた。

日経新聞(7月27日)文化欄によれば
宮崎氏は戦闘機が大好きで、戦争が大嫌い、
矛盾を抱えた人であり、本人もそれを認め
「矛盾のない人間はたぶんつまらない人ですよ」と
述べている。
映画「風立ちぬ」は、反戦の心情を持ち
美しい飛行機を作りたいと思いつつも
戦争下では、戦闘機を作ることしかできない。
しかし、どんな状況下でも「力を尽くせ」が
この映画のテーマだという。

う~ん。

スタジオジブリのホームページを見ると
小冊子「熱風」7月号特集「憲法改正」への
問い合わせが多いことから、緊急PDF配信をすることにし、
8月20日までダウンロード無料で公開しているという。

早速宮崎氏の論考を読む。
体験をふまえ、共感を覚える内容である。
宮崎氏は、反戦主義者であり、
「憲法改正」反対であり、その姿勢は鮮明である。

宮崎氏には、是非とも、今後も、反戦、護憲の立場で頑張ってほしい。

しかし、今、書店では「ゼロ戦」が並んでいる。
宮崎氏本人の意図を離れて「ゼロ戦」が美化されていく可能性は高い。

その行き先が心配である
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by kazuo_okawa | 2013-07-28 17:11 | 出来事いろいろ | Trackback | Comments(0)
定期購読している「マスコミ市民」7月号を読む。

「『異端』のジャーナリストに聞く」シリーズ最終回に
本多勝一氏が登場している。

本多氏は「戦場の村」「中国の旅」「殺される側の論理」など
数々のルポ・著作を発表している元朝日新聞記者である。

10年くらい前までは、本多氏の本をよんで
ジャーナリストの世界に入ったものはかなりいたというくらい
その影響力は大きい。

私自身も学生時代、本多氏の著作には
影響を受けた一人である。
何冊も読んだ。

その一つに「法学教室」(第二期・第5号・1974年6月発行)という
法学部の学生向けの冊子に、彼の寄せた随想がある。
表題は「巨大な犯罪ほど『合法的』である」

理不尽な不正でも権力者はそれを「合法化」する
力を持っている。ニクソンはベトナム戦争で
大量虐殺をするとき「合法的」手続きを踏んだ。
そしてそこで言う「法と秩序」のおかしさを皮肉ったあと
本多氏は次のように締めくくる。

「よく私はいうのだが、侍は権力者が人民を弾圧するための
刀使いであった。ところが逆にその刀を支配者に向けた例外的
侍もある。法律はその刀であり、法曹人はそれを使う侍だ。
侍たちよ。あなたがたの誰が「例外」たりうるだろうか。
私たち「法で支配される側」は期待している。」

私が、弁護士を目指したとき、本多氏のこの随想は何度読んだことか。

弁護士になってからも、この著は事務所のいつも手に届くところに
おいている。



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by kazuo_okawa | 2013-07-27 12:44 | 出来事いろいろ | Trackback | Comments(0)
ミステリーベストテン国内編。
1位は東野圭吾「容疑者Xの献身」とした。

ついで2位である。
奇術ファンでもある私としてはマジシャン泡坂妻夫ははずせない。

彼の傑作に「生者と死者」がある。
その帯に書かれた謳い文句は
「世界出版史上に輝く驚愕の書 ついに刊行!」
「消える短編小説」
というものである。
何をオーバーなと思われるかもしれない。
しかし、事実である。

実はこの書、もともとは16頁単位で袋とじである。
つまり1頁の次は、袋とじのままだと16頁に飛び
ついで、17頁、32頁と続く。
以下、33頁、48頁というように続く。
そして、このまま1,16,17,32,33,48…、と続くのを読むと
短編小説である。

ところが袋とじをカットして、1頁、2頁、3頁、と順に
読んでいくと、長編小説になるのである。
そしてこの長編小説は、先の短編小説とはストーリは違う。

1,16,17,32,33頁などは、短編でも長編でも、両方に
重なるのであるが、違うストーリになるように、
二重の意味をもたせていることから、そのようなことが生ずるのである。

無論、文書のつながりも重要である。
例えば、短編のときは、17頁の次は32頁であるが
長編の時は17頁の次は18頁である。
いずれも自然に文章がつながっている。
その仕掛けには驚愕してしまうのである。

「しあわせの書」も凄い仕掛けがある。
こちらは2頁単位で同じ言葉が特別な配置に出てくる。
その意味はここでは明かさないが
(それは「しあわせの書」最終章で明かされるサプライズエンディングである)
作者の側からすれば、文字を特別に配置するという
限定条件のもとにミステリを製作しているのである。
これがいかに大変かは少し想像すれば分かるであろう。

ようするに、泡坂氏は、驚きを提供するために
とんでもなく手のかかることをしているのである。

思えば、マジシャンは一瞬の驚きを演出するために
気の遠くなるような仕掛けを作り、また練習をする。
泡坂氏は紋章上絵師でもあるが、この技術は
緻密さ正確さが要求される。

泡坂氏の作品は
常人が思いつかないとんでもない発想と
そしてそれをコツコツと丁寧に仕上げるという
2つの才能が融合した作品である。

言わば「究極の職人芸」である。

泡坂氏のような推理作家はあとにも先にもいない。

私は、氏の初期の代表作である「11枚のとらんぷ」を
2位に推した。(続く)
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by kazuo_okawa | 2013-07-27 02:02 | ミステリ | Trackback | Comments(0)
龍谷大学と大阪府立大学の2つの大学に講座を持ち
それぞれ週一回ずつ講義に行っている。

いずれも前期の講義が終わり、これから試験が始まる。

私の試験問題は、論文式であり、学生には結構難しいと、思われる。
例えば、「いわゆる人質司法とは何かを説明し、
この現象について、あなた自身の評価を交えて論ぜよ」
といった類である。
しかし、問題の難しい分、その「緩和策」として、幾つか複数の問題を提出し
そして、その全てを回答するのではなく、2問選択制にしている。

さて前置きはそのくらいにして
私は、私の講義を聴いていただいた学生には、是非合格してもらいたいと
思っているのであるが、なかなかうまくいかない。

一番、悩ましいのは、答案自体は大変よく書けているが
問題とはずれている場合である。

この場合にも2種類あって、
学生自身が自覚している場合とそうでない場合がある。
前者は、昔あったといわれる「カレーライスの美味しい作り方」
(問題の答えではないが、あまりに斬新なので合格したという都市伝説)と
基本的に同じものであり、いわば「自爆型」である。
本人もうまくいけば、というもので不合格も織り込み済みであろう。

困るのは、問題の読み間違いに気づいていない
「勘違い型」である。

回答を読めば、それなりに勉強をしていることはわかる。
しかし問題に対する回答になっていない。
しかも本人が気づいていないときである。

どこか、何か引っかかっていれば、何とか「救済」しようと
考えるのであるが、まるで勘違いの時はどうしようもない。

これを合格にすれば、予め一本、回答を用意しておけばよいことになり
結局は「カレーライスの美味しい作り方」方式と変わらないから
そういうことは出来ない。

思えば、社会人になっても何か要領が悪く、
勘違いの元に、努力が空振りになっている人がいる。

自らの弱点をできる限り、若い時期に知ることは
重要かもしれない。

努力が空振りにならないように、
心から願っています。
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by kazuo_okawa | 2013-07-25 23:55 | 大学あれこれ | Trackback | Comments(0)
今、人気の東進ハイスクールカリスマ講師、
林修氏のベストセラー書を読む。

私は、文芸書のベストセラー本はまず買わないが
逆に一般書のベストセラー本は割と買う方である。
「何故、売れているのか」を考える材料になり、
同時に、社会の空気のなにがしかの反映だろうと
思えるからである。

丁度、遠方の仕事があり、行き帰りの電車の中で読めた。

多くのベストセラー本と同じように、見出しや
ゴシックを多用するなど、読みやすい。

実は、林氏に興味を持ったのは、
テレビで、自分の勝てるエリアで戦え、
恋愛も、自分の勝てるエリア(自分を好いてくれる相手を探す)で戦え、と
大変興味深い話をしていたからである。

そういう興味もあって、表題の書を買ったのだが
実に面白い。

基本的発想は、勝てるエリアで戦う、という戦略と
もう一つは、「相手にあわせる」と言うことである。

例えば、人生相談は、相談者は自分の回答をもっているから
それを読みとって期待通りに答える、
相手の満足を読み取って、相手にあわせる、
相手に伝わる言葉を探す、
相手にとって何が「権威」かを探りそれに合わせる、などである。

読んでいて実に面白い。

誤解を恐れずに言えば、実に、日本的なのである。
「勝てるエリアで闘う」というのは
「分相応」「身の丈に合わせて努力する」など
かつてからある発想を少し視点を変えたモノと言うことができようし、
「相手にあわせる」などというのは
「和」の精神であり、まさしく日本的である。

つまり誰しも共感を覚えることを、林流にアレンジし
少し斬新な指摘をする。
頭のいい人である。
この林流アレンジに工夫があるのだが、
逆に言えば「和」の精神など、基本的なところははずしていないからこそ
ベストセラーになるのであろう。

そういう意味でも大変面白い。
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by kazuo_okawa | 2013-07-24 23:18 | 出来事いろいろ | Trackback | Comments(0)
参院選が終わると同時に
「一票の価値の不平等」は憲法違反だという
裁判が一斉に提訴された。

民主主義である以上、1人ひとりの投票の価値は
平等であるべき、という、きわめて当たり前で
きわめて妥当な訴訟である。

人は平等といいながら、甲さんと乙さんとでは
甲さんが、乙さんの2倍の投票権を持つとあっては
誰しも納得し得ないであろう。

長年この運動に取り組まれている
升永英俊弁護士グループには心から敬意を表する。

とはいえ私の持論は、民意を反映しない小選挙区制廃止である。
形式的価値をいくら平等にしたところで、小選挙区ででは
民意を反映せず、それは結局、実質的不平等と考えている。

例えば、今回の参院選挙を例にとれば
(東京のような)「5人区」と
(鹿児島県のような)「1人区」で果たして
投票の価値は同じといえるであろうか。

「5人区」では選択の幅は大きい。
「1人区」では、自己の投票をいかすなら
1位候補か、2位候補に入れるしかなく
選択の幅がない。

とはいえ、実質的平等とは何か、を論ずる前に
「形式的平等」を実現することは、何よりも重要である。

形式的平等の実現なくして、実質的平等はないからである。

升永弁護士グループの活動には心から期待する。
是非とも頑張ってほしい。
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by kazuo_okawa | 2013-07-24 00:27 | 出来事いろいろ | Trackback | Comments(0)

繰り返し同じことを言う

選挙の度に、毎回、同じことを言っている。

やはり小選挙区(今回の参院選挙では1人区)制はおかしい。
民意が反映されないからである。

東京選挙区(5人区)で、脱原発の山本太郎氏が無所属で当選した。
政党の推薦は受けていない。
共産党候補も当選している。
両者は、反自民の受け皿になったといえよう。

しかし、これは「5人区」ならばこそであり、
東京選挙区が「1人区」なら、自民の一人勝ちである。
「1人区」であれば、山本氏も共産党候補も当選しない。

「生活」「みどり」「大地」は、当選者ゼロである。
しかし、この3党は、脱原発、反TPP、護憲で共通であり
200万人以上がこの3党に投票している。
しかし、当選者ゼロ、ということは、この投票は、全く死票となったわけである。

野党が、統一できなかったことが悪い、というのは
制度を是とする逆立ちの論理である。
我々の社会が真に民主主義なら、それを反映させる制度を
まず考えるべきである。

棄権が多かったことは各紙指摘されている。

しかし、それは、選挙予想が「世論調査」の名の下に
自公圧勝と予め報じられ、また小選挙区制(1人区制)の中で
第一党以外は、死票となる可能性が高いことから
なおさら、投票意欲はわかないであろう。

選挙の度に同じことを言っているが
選挙制度を、民意を反映する制度に変えなければならない。
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by kazuo_okawa | 2013-07-23 00:12 | 出来事いろいろ | Trackback | Comments(0)

和楽の会に顔を出す

日曜日、種々の所用を片づけ、連れ合いと和楽の会に行く。

古くからの友人の誘いで行ったものであり、
私にとってはほとんど無縁の世界である。

こういう会に出るのも全く初めてである。
見るもの聞くものめずらしい。

遅れたものの、その友人の出番と
彼の師である、そして主催者の東音松浦麻矢師の
芸は拝見することができた。
詳しくはないが、友人の唄はなかなかのものに思える。
また師匠の芸はさすがです。

ほとんど知らない世界をかいま見るというのは
大変興味深いものである。

ごくごく短い時間であったが会場をあとにし、
日本橋、難波から梅田へ。

日曜日で快晴とあって
本当にどこも多くの人々で一杯である。

彼らは投票したのだろうか。
今日の、参院選の投票率はどうだったのだろうか、と
あれこれ考えながら、帰路につく。

そして、先ほどから、選挙報道を聞きながら、
このブログをかいているのであるが…。
う~ん。
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by kazuo_okawa | 2013-07-21 21:46 | 出来事いろいろ | Trackback | Comments(0)
「抱き合わせ商法」は禁止されている。
それは、買いたくもない余分な商品を抱き合わせて、
(これを抱き合わせ商品という)それを無理矢理買わせるものであり、
「不公正な取引」として独禁法上、禁止されている。

何で、突然、こういうことを思い出したかというと
たまたま立ち寄った本屋で
和田誠・糸井重里編「土屋耕一のことばの遊び場」という本を
見つけたからである。
和田、糸井、土屋と並べば、私は、これは、これだけで
わくわくしてしまう。

ただ問題は、和田・糸井は編者であり、本体は土屋耕一の作品集が全てである。
そして、土屋耕一の作品集は、私は、ほとんど持っている。
実は私は、名コピーライターにして言葉の達人、
土屋耕一のファンなのである。

そして、本屋で見た限り、ほとんど既視感があるのである。

こういうとき私は、大手出版社発行なら出直す。
(自宅の書庫にないか確かめるためである)
しかし本書は「ほぼ日ブックス」と聞いたことがない。
(いや、どこかで聞いた気もするが、覚えていない)
こういう場合は私は買う。

後日、買う気になったときに、なかなか手に入らない、という
経験を何度もしてきたからである。

かくて本書を買った。

繰り返すが、私は、和田、糸井、土屋と並んでいるだけで
素晴らしいと思っており、購入自体には、納得しているのであるが、
とはいえ、何となく、抱き合わせ感がぬぐえないのである。
(何せ、ほとんど、もっていたのですから)

もちろん、これは、禁止されている抱き合わせ商法とは違いますよ。

抱き合わせ商法とは、例えば、
「サイパン島事件」をください、といったときに
「裁判と人権」付きでないと売らないよという場合のように
別の本(商品)の場合をいうものです。

本書は、一つの商品ですから、抱き合わせと違いますよ。

でも考えてみれば、書物にはこの手のモノが多いですね。
ほとんど持っているのに、ただ一作「未発表作品収録」とあれば
その一作を読みたいがために、わざわざ短編集を買うことも少なくないですね。

禁止されているわけではないですが、
でも、何か、「抱き合わせ」感は強いですね。

そういえば、明日は、参院選挙。

景気を良くしてもらおうと思って、とある政党に投票すれば
「抱き合わせ」に、憲法改悪、原発推進、消費増税などなど
その他諸々付いてきます。

「抱き合わせ商法」にご注意を。
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by kazuo_okawa | 2013-07-20 22:18 | 出来事いろいろ | Trackback | Comments(0)
選挙に関する、大手新聞の「世論調査」は、決して真の世論調査ではなく
「選挙予想」にすぎないことを先のブログに書いた。

もしも、真の世論調査をすれば、民意と選挙結果が一致しないことが
より明確になり、選挙制度への批判が生じかねない。
大手新聞はそれをおそれているとしか思えない。

大手新聞の手法はさらに別の問題がある。

すなわち、「世論調査」という名の「選挙予想」が、選挙結果と
変わらないということが、何度も繰り返されるとどうであろう。

その「世論調査」の結果に賛成の人は、期待を込めて、選挙に行くであろう。
しかし、その結果に反対の人は、あきらめて、選挙に行かないに違いない。

皮肉なことに、そもそも、そういう人を排斥した「選挙予想」故、
あきらめて選挙に行かないと、結局、その「世論調査」とおりになってしまう。

かくなるは、世論調査は「予想」であると割り切り、
あくまで自分の判断で態度を決めるべきと貫くべきであろう。

スポーツ新聞の競馬予想は、「予想」と銘打っているため
人々は、参考にしても、最終的には自分で判断する。

大手新聞も本来は、「選挙予想」とすべきだあったろう。

にもかかわらず、中立的な装いをしていること自体
不当であると言わざるを得ない。

大手新聞のその罪は大きい。
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by kazuo_okawa | 2013-07-20 01:45 | 出来事いろいろ | Trackback | Comments(0)