私の趣味やニュースの感想など好きなことを発信するブログです


by kazuo_okawa
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カテゴリ:大学あれこれ( 21 )

新年度、今年も新たに大学での講義が始まった。
私が、龍谷大学法学部で講義を持たせて頂くようになって19年目である。

実は、若い人達を前に喋るのは大変新鮮であり
私にとって、仕事とはいえ、楽しみな時間である。

4月10日、新年度の講義がスタートしたが、みんな熱心に聞いて頂き嬉しい。

私の講義は「裁判と人権」であり、
広く裁判実務から「人権」に関する問題を取り上げている。
大学からも、実務家の視点から、学生にとって刺激的な話をしてほしいと要請されている。
…ということで、実際は自由に話をさせてもらっている。

しかし、目的は、学生に日本における人権状況を知ってもらった上、
人権尊重と、合理的な思考法を身につけてもらうことである。
そういう観点で講義している。

初回は、人権とは何か、という総論の話をした。

人権については通説である「天賦人権説」を前提に話している。
つまり、人は生まれながらに誰にも侵されることのない人権を有している、という考えである。
ご承知の通り、2012年4月に発表された自民党改憲草案は
この通説たる「天賦人権説」をとらないとしてる。
とんでもない説であるが、これが実現されたら、日本は、不自由な国となるだろう。

それは若い人達にとって大きな問題のはずである。

私はその点を力説した。
若い人に、是非通じてほしい。

(追記)
龍谷大学では、社会人コースというのがあり、時折、若い人に交じって
社会人風の人が講義を聞かれていることがある。
社会人の方が、好きな講義だけを聞くと言うことで大変面白い制度だと思うのだが
今年は大教室を見渡した限り、オール学生風であった。
このブログで、宣伝しておけば良かった。
残念。
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by kazuo_okawa | 2014-04-16 23:08 | 大学あれこれ | Trackback | Comments(0)
大阪府立大学経済学部で「労働法」を一年間講義してきた。
本日は、その学年末試験である。

私は講義の出席はとらない。
しかし、毎回、出席している真面目な学生には
試験に合格してほしいと思うのは人情である。

試験問題は、4問中2問選択としているので
普通に勉強していれば、まず合格できる。
それでも、毎回、出席している真面目な学生には、是非とも合格してほしい。
しかし講義の中で「ここは試験に出しますよ」などと露骨なことを言うのでは
出席していない学生にもその情報が広まるので、全く意味がない。
従って、そういうことはしない。
そこで、一工夫する。

つまり、本格ミステリファンとしては、講義の中で、うまく
試験問題の「手がかり」を必ず残すようにしているのである。

例えば、本日の4問のうちの1問目は、
労働組合法上の「労働組合」を説明させる問題であるが
講義では、説明しながら、黒板に
①労働者が主体
②自主性
③目的
④団体性
等と、黒板の左端に書きながら説明していくのである。
私は、黒板に字を書いたり、消したりしながら、講義を進めているのであるが
何故か、不思議なことに、左端に書いた前記の4つだけは、
その日、一日中、講義の最後まで黒板に残っているのである。
しかもそれだけではなく、別の日の講義の時も、
たまたま「労働組合」と言う言葉が出たときに
「ここでいう労働組合とは、労働組合法上のもので、その要件はこの前の講義で説明しましたね」と、またまた、前記①②③④の4つが黒板に書かれる。
そして、不思議なことに、その日もその4つは最後まで黒板に残っているのである。
他の3問もほぼ同じである。

重要な「手がかり」は、まさに目の前に大きく示されていたのである。

しかし、こういうことを単純に繰り返すのでは、勘のいい学生は気づくかもしれない。
そこで、2回目、3回目の時は、たまたま、自然に説明したように
という「ミスディレクション」を張って、黒板にさりげなく書くのである。

「手がかり」と「ミスディレクション」
これこそ本格ミステリの核心であり、醍醐味である。

というわけで、私の講義を真面目に出席して
しかも、黒板のノート取りをきちんとした学生は、今日の試験問題を知って
私の、この「手がかり」にきっと、今頃、驚いてくれているだろう。
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by kazuo_okawa | 2014-01-24 23:08 | 大学あれこれ | Trackback | Comments(0)

「労働法」の最終講義

本日は、私が講義に赴いている大阪府立大学経済学部における「労働法」の最終講義であった。

一年間の締め括りゆえ若干の思いを込めて終える。
とはいえ、正確には、あと一回、試験の為に出講するのだが。

若い人を相手に話をするのは結構楽しく
現在、龍谷大学と合わせて2校に講座をもたせて頂いている。

つい先日、学者の刑事立法研究会に呼ばれて
私が関わった最近の判例を報告するという機会があった。
その報告の後、若い学者が近寄ってくれて名刺交換をした。
その彼は、関東の大学に勤める研究者なのであるが
「龍谷大学で、大川先生の講義を聞きました」と聞かされ
驚くと共に大変嬉しく思ったものである。

私の講義を聞いて頂いた方が成功され、そして、思わぬ形で
受講生だったと明かされるのは、大変心地よい驚きである。

龍谷大学の場合は法学部であるため、その卒業生と
司法界で出会う可能性は少なからずある。

しかし、大阪府立大学では講義の対象者は経済学部生であり、
司法関係に来られる方は、おそらくほとんどないであろう。

それゆえに、大阪府立大学経済学部の卒業生の方と
思いもかけぬ意外な場所で出会ったときに
「講義を聞きました」と言って頂けると、嬉しい。

「労働法が役に立ちました」と言って頂けると、もっと嬉しい。

【2015年8月7日追記】
留年生がいたため、引き続き府大で労働法の講義をしている。
とはいえ、実際に、今年度で終了する。
尚、本文記載の通り教え子から挨拶を受けるのは嬉しいものだが、昨日(2015年8月6日)ある集まりで、とある司法修習生(68期)が「龍谷大学法学部出身です。学生時代、先生の講義を聞きました」と挨拶に来てくれたのも嬉しいものでした。
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by kazuo_okawa | 2014-01-10 20:57 | 大学あれこれ | Trackback | Comments(0)
学生にとっての夏休みは
講師にとっては前期試験の採点期間である。

「労働法」を教えている大学の前期試験の採点をしているのだが
いつも考えさせられてしまう。

できばえの良くない答案に、共通の間違いがあるのである。

それが、今年は「使用人」である。
回答者は、労働者を雇っている側のつもりで答案を書いている。

つまり、「使用者」と書くところを「使用人」と書いている答案が
いくつも散見されるのである。

この原因は、学生の間で出回っている「虎の巻」
(大川講座用試験対策のレジュメ)
自体が間違っているからである。

「使用人」という言葉は、使用者を示すこともあるが
労働法の分野では、「使用人兼務取締役」という
テーマがあるとおり、一般には「従業員」の意味である。

ましてや、私は、講義で「使用人」などという言葉は一度も使ったこともない。
言うまでもなく「使用者」という言葉を使っている。

従って、答案に「使用人」という言葉を使って回答すること自体
「私は講義に出ていません」と自白するようなものなのである。

そこで考えてしまう。

ひょっとすれば、この大川用の「虎の巻」を作った人は
いくら何でもあまりに不勉強なものは不合格とするように
巧妙に、ただ一点、わざと「使用人」との言葉を使って
私に「暗号」を送ったのではあるまいかとも思うのである。

なぜなら、「使用人」は、両者の意味があるから
授業に出ていない学生にとっては気づかないからである。

そのような「暗号」なら大変素晴らしい。

実は、私は、ミステリ好きで「ダブルミーニング」(二重の意味)が
大好きなのである。

ダブルミーニングの暗号なら実に素晴らしい。

「虎の巻」作成の筆者に、是非とも、その真意を聞きたい。
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by kazuo_okawa | 2013-08-16 18:34 | 大学あれこれ | Trackback | Comments(0)

試験・ラストメッセージ

大学で若い人たちに講義するのは楽しい。

学生からのどんな質問でも、こちらにとって勉強になる。

とはいえ、唯一、大変なのが試験の採点である。

最近は、学生の異議申し立て制度などがあるが
そういう制度のあるなしにかかわらず
一所懸命に書かれた答案には、こちらもきちんと応えたい。

そしてそれと同時に、多くの学生との間では
この試験の採点が、おそらく「お別れ」でもある。

無論、何年かたって「大川先生の講義を聴きました」と
出会う人もある。
これはこれで嬉しい。
いやあ正直なところ、実に嬉しいのです。

しかし、多くの学生とは、おそらく今後出会うことは
まずないであろう。

そう考えると、採点は、最後のメッセージでもある。

ラストメッセージ。
とうてい、おろそかに出来ない。
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by kazuo_okawa | 2013-08-08 00:31 | 大学あれこれ | Trackback | Comments(0)
龍谷大学と大阪府立大学の2つの大学に講座を持ち
それぞれ週一回ずつ講義に行っている。

いずれも前期の講義が終わり、これから試験が始まる。

私の試験問題は、論文式であり、学生には結構難しいと、思われる。
例えば、「いわゆる人質司法とは何かを説明し、
この現象について、あなた自身の評価を交えて論ぜよ」
といった類である。
しかし、問題の難しい分、その「緩和策」として、幾つか複数の問題を提出し
そして、その全てを回答するのではなく、2問選択制にしている。

さて前置きはそのくらいにして
私は、私の講義を聴いていただいた学生には、是非合格してもらいたいと
思っているのであるが、なかなかうまくいかない。

一番、悩ましいのは、答案自体は大変よく書けているが
問題とはずれている場合である。

この場合にも2種類あって、
学生自身が自覚している場合とそうでない場合がある。
前者は、昔あったといわれる「カレーライスの美味しい作り方」
(問題の答えではないが、あまりに斬新なので合格したという都市伝説)と
基本的に同じものであり、いわば「自爆型」である。
本人もうまくいけば、というもので不合格も織り込み済みであろう。

困るのは、問題の読み間違いに気づいていない
「勘違い型」である。

回答を読めば、それなりに勉強をしていることはわかる。
しかし問題に対する回答になっていない。
しかも本人が気づいていないときである。

どこか、何か引っかかっていれば、何とか「救済」しようと
考えるのであるが、まるで勘違いの時はどうしようもない。

これを合格にすれば、予め一本、回答を用意しておけばよいことになり
結局は「カレーライスの美味しい作り方」方式と変わらないから
そういうことは出来ない。

思えば、社会人になっても何か要領が悪く、
勘違いの元に、努力が空振りになっている人がいる。

自らの弱点をできる限り、若い時期に知ることは
重要かもしれない。

努力が空振りにならないように、
心から願っています。
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by kazuo_okawa | 2013-07-25 23:55 | 大学あれこれ | Trackback | Comments(0)

奥田昌道先生に学ぶ

奥田昌道先生は、京大民法教授を経て、その後
最高裁裁判官になられた方である。

私は、その9期目のゼミ生であり、
言い換えれば、私の人生に影響を与えた「師匠」の一人である。
実際、奥田先生から学んだことは少なくない。

さて何故、奥田先生のことを書くかといえば
先の、雨宮氏のコラムに触発されたからである。

雨宮氏は、正しいことを大声で言う人はウザがられる、と指摘したあと
「人は、たぶん、一方的な主張よりも「迷い」や「ゆらぎ」に共感する」
と述べているのである。

ここで私は師奥田先生を思い出した。

奥田先生は、ゼミにおいて、当時、学生のどんな質問でも
(学生からすれば、どんなに他愛ない質問でも
それを最大限、善意に了解した上で)真正面から受け止められ、
その質問から展開される難しい論点にも指摘して、
(ときには「迷い」「ゆらぎ」を含みつつ)
真摯かつ最善の回答をされたからである。

私は、奥田先生の「迷い」「ゆらぎ」には、大変印象に残っている。
それはあらゆる論点を考えつくすから故なのであるが、
学生の他愛ない質問に、そこまで次々と展開していくのかとの思いも含めて
印象に残っているのである。

しかし、ここが、学者としての良心であり、
実は、それこそ奥田先生から私が学ばせて頂いたことのひとつなのである。

それはそもそも、奥田先生の学者としての謙虚な姿勢が
「迷い、ゆらぎ」に現れ、未熟な学生をすら共鳴させるのであろう。

雨宮氏の言う「人は、迷い、ゆらぎに共感する」という、一場面かもしれない。

雨宮氏のコラムから、私は奥田先生のゼミ時代を思い出し、
そして同時に、我が身を振り返った。

私自身は、今、龍谷大学と大阪府立大学の2つの大学に
出講している。

学生からの質問は大歓迎で、それはそれで楽しいのであるが
いささか「正しいことを大声で」いっていないか、と
我が身を振り返ったのである。

同時に、奥田先生の、考え抜きつつも謙虚である、という
その姿勢は、私も、是非、継承していきたい。

雨宮氏のコラムを読み、つくづくと思う次第である。



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by kazuo_okawa | 2013-06-30 01:58 | 大学あれこれ | Trackback | Comments(0)
大阪府警の不祥事が次々と明るみに出されている。

大阪府警堺署の留置場で起きた
実に怪しげな事件。

勾留中の被疑者が「暴れた」として
堺署の警察官が「暴れた」人物を「逮捕」したのだが
その警察官らの調書が書き換えられていたことなど
連日、報道されている。

さらに朝日新聞6月11日夕刊の報道では
証拠品すら警察官が捏造した疑いがあるという。

強大な権力を持つ警察がこういうデタラメなことをしていたのでは
この国の秩序も人権もとうてい守れないであろう。

この事件は徹底的に調査し
今後、こういう事態が生じないような枠組みを
真剣に構築しなければならない。

ときあたかも、私が講座を持っている
龍谷大学法学部において、
去る6月6日に、特別ゲストとして
原田宏二氏をお招きした。

原田氏は元北海道警察所属であり
道警本部長までのぼりつめられた方であるが
その後「警察裏金」を知り、その不正を内部告発した。

警察裏金事件として覚えておられる方も多いであろう。
原田氏はその後、道警はやめざる得なくなったが、
退職後は現在にいたるまで、警察の健全化、
透明化、民主化のために活動されている。

警察官としての実体験もお持ちゆえ
その講演には説得力がある。

しかし、現在も警察の腐敗は続いているという
原田氏の指摘には、おそらくは半信半疑の学生もいたに違いない。

ところが、この講演と平行するように
報じられた一連の、大阪府警の不祥事疑惑をみれば
誰しも原田さんの指摘にうなずかれるに違いない。

ところで、原田さんの内部告発は大変勇気のいることである。

とりわけ、本部長の地位までつかれ、
裏金に関与するところまでこられただけに
大変だったろうと想像する。

そんな原田さんの生き方を見れば
さぞかし剛胆な雰囲気の方と思われるかもしれないが
実は、常にニコニコとされ、講演もユーモアたっぷりの
すごく楽しい方なのである。

「闘いは楽しく」という言葉があるが
相手が大きくて、大変な闘いほど
長く闘うために必要な姿勢である。
原田さんの生き方や、スタイルその姿勢は、私も是とも非学びたい。

さて、その原田さんが、新著「警察崩壊」(旬報社)を発行された。
警察の腐敗を正すべく書かれた書物であり
内容は大変興味深い。

皆さんに、是非ともお勧めしたい。
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by kazuo_okawa | 2013-06-12 01:22 | 大学あれこれ | Trackback | Comments(0)
高校時代、数学に出てくるLim(リミット)の概念が
どうにも心地よくなかった。
無論そのために数学の問題が
解けないというわけではない。
(むしろ数学は好きであった)

しかし、論理的で、合理的で、明快な数学において
「限りなく(ゼロに近づく)」といった
いかにも情緒的な定義が出てくることに
どうにも落ち着かない気分にさせられたのである。

担当の数学教師に質問しても、私の疑問を、
真面目な疑問ととらえてくれない上、
トートロジーとしか言いようのない説明に大いに失望したものである。

しかしその後も落ち着かない気分が続くため
それまで習ったこともなく接点のなかった別の数学教師S先生に
質問に行った。

そのS先生の説明は今でも覚えている。

「大川君が疑問を持つのは正しい」

そして、高校数学では教えないことになっているが、として
S先生から教わった「イプシロン=デルタ法」の感激は忘れられない。

「限りなく」といった情緒的な表現ではなくて
「どのイプシロンをとっても、デルタが存する」という明快な概念にかわる。

その解法の感激もさることながら
「疑問を持つのは正しい」と私の疑問を肯定して頂いたこと自体が嬉しい。
大げさに言えば、S先生の説明により、私がこのときある種の自信を得たことも事実である。

ひるがえって今、私は二つの大学で講義をしている。
講義終了後の学生の質問は楽しい。

とはいえ後の予定を考え、十分に時間がとれないのも事実であり
限られた時間の中で学生に理解してもらえたかと思うことも少なくない。

しかしながら、私がS先生から「感激」と、ある種の自信を得たように
学生にはできる限り何かを伝えていきたいと、私は思っている。
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by kazuo_okawa | 2013-05-11 00:49 | 大学あれこれ | Trackback | Comments(0)
龍谷大学法学部に講座を持たせていただいて18年目になります。
いつの年でも、学生からの質問や意見は大いに歓迎しています。

意表をつく質問や斬新な意見ほど嬉しい。
いろいろな意味で(最近の若者はそう考えるのか、という意味でも)
こちらも勉強になることもあります。
その意味でも思いついたことはどんなことでも質問してください。

意外性・独創性があればあるほど大歓迎です。

さて以上は前書きで、本稿の主題は、質問の仕方です。

私は、龍谷大学での講義が終わると、本業(弁護士業)のため
直ちに大阪の事務所に戻ります。
そのため、質問はできる限りメールでしてほしい、と学生には伝えています。
学生にとってメールのやりとりは手慣れたものです。
無論、講義直後、教室で質問を聞くことも少なくありません。

そこで皆さんにクイズです。

実は、年によって、メールの質問が多い年もあれば、
授業終了後の直接の教室での質問が多い年もあります。
今年は、メールでの質問は少なく、授業終了後の直接の質問が多い年です。

さてそれは何故でしょうか。

皆さんその理由がわかりますか。

答えは、教室の構造です。

出入り口が教室の後方にあるときは、講義終了後、わざわざ講師のいる壇上まで
前に近づいてきて質問する学生は少ない。
そこでメールの質問が増える。
一方、出入り口が前方にあるときは、前方に歩いていくため
帰り際、自然に講師に近づき、私に声をかけて
「先生、こんな場合はどうなりますか」と簡単に質問できるわけです。

種明かしすれば簡単な理由ですが、
ちょっとした違いで、質問方法ががらっと違うので本当に不思議です。

とはいえ、このようにブログにあげたので、今後は違う傾向がでるかな。
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by kazuo_okawa | 2013-04-27 23:16 | 大学あれこれ | Trackback | Comments(0)