19日のサンケイ新聞の一面は「弁護士自治はいらない」である。
サブ見出しは「困窮する若手 左傾的闘争に反発」とある。
安倍御用新聞サンケイが、日弁連攻撃の一環として「弁護士自治」をなくすキャンペーンを始めたことがわかる。
弁護士は、刑事弁護もさることながら、時に「権力」と闘うことがあり、そのためにも(闘う相手に規制されない)「自治」が必要なのである。
自治無くして(つまり監督官庁がいれば)人権のために十分に闘えない。
当然の理屈である。
本来は、こういう原理的な意義を、社会の木鐸である新聞は書かねばならない。
「困窮する若手」の存在はその通りだろう。
しかしこれは、自民規制緩和路線の結果としての弁護士過剰時代の帰結に過ぎない。
しかも、サンケイは「自民規制緩和路線」を支持してきたのである。
「左傾的闘争に反発」にいたっては、意図的なキャンペインとしか言いようがない。
無論、若手弁護士の中にも、日弁連を「左傾」と誤解した弁護士もいるだろう。
しかしそれはあくまで「誤解」であり、そのような前提をもとに論ずべきではない。
日弁連は、「左傾的闘争」をしているわけではない。
集団的自衛権を認めるにせよ、認めないにせよ、そういう議論の前に、今ある憲法は守れ(立憲主義)と言っているに過ぎない。
これは「左傾」でもなんでもなく、むしろ近代国家なら当然のことである。
サンケイはその近代国家以前の時代から論じているのである。
およそ、近代のまともな議論ではない。
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