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by kazuo_okawa

水俣病訴訟最大の山場~花田昌宣証人登場!(その1)

2016年12月14日午後1時半、大阪地裁1009号法廷で水俣病訴訟の証人尋問が行われる。
是非多くの皆さんに傍聴にきて頂きたい。
そこで水俣病史を簡単に振り返る。

水俣病は、石油化学コンビナート政策という国策から生じた公害である。
無論、直接の加害者は有機水銀という毒を垂れ流したチッソにあるが、それを何ら止めなかった国にも同様の責任がある。
チッソの責任が裁判によって認められた後、患者達がチッソとの交渉の結果、将来にわたる全ての水俣病患者の補償をチッソは約束した。
これが補償協定と呼ばれるものである。
これは裁判の判決のあとに作られた枠組みであり、当時、裁判を超えるものとして構築された。

そしてこの補償協定の対象者(水俣病患者)は、公健法上の「認定」を受けたものいう仕組みが作られた。
ある意味で画期的な仕組みである。
この仕組みの通り、水俣病患者が、正しく認定されていれば、後に続く、混迷は生じなかった。
ところが実際は、この認定制度が、激しく歪められてきたのである。

つまり、本来の水俣病患者を、水俣病として認定しなかったのである。
これは、水俣病と判断する基準を従前よりも極めて狭くした。
この基準が悪名高き52年判断条件と呼ばれるものである。

認定制度が事実上破綻した以上、患者達は、裁判に打って出るしかなかった。
その目的は、一つは正しい水俣病像を認めさせること、もう一つはチッソのみならず、国・熊本県の責任を認めさせることである。
かくて起こしたのが国・県・チッソに対する国家賠償(損害賠償)請求訴訟である。
これが認定制度破綻後の闘い第一陣である。

途中、国の「水俣病幕引き政策」に、全国各地に多くの訴訟団がそれに呼応した。
そもそも、全国の水俣病訴訟というのは初めは「国県に責任を!」というスローガンであったはずが、いつの間にか和解派のスローガンは「生きている内に解決を」に変わっていた。
そして私たちの関西訴訟を除く、全国の訴訟団の全てが国の和解方針に応じた。
私たちは知らなかったのであるが、後に判明したことによれば、患者への救済金とは別に「団体加算金」なる、億単位の巨額の金員がそれぞれの団体に支払われている。
言ってみれば「口封じ」の金であり、私たち関西訴訟も和解していれば、水俣病の紛争は全て終結していた。

しかし、私たちは、和解しなかった。
その結果、2004年10月に最高裁は、国県の責任を認め、また私たちの患者・原告を水俣病と認めるという画期的な判決を下したのである。

まずは第一陣は勝利した。




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by kazuo_okawa | 2016-12-07 19:39 | 出来事いろいろ | Trackback | Comments(0)