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by kazuo_okawa
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周防正行・監督の眼!

9・17集会の報告パート3である。

ゲストの一人は周防氏は映画監督であり、代表作に「シコふんじゃった。」「Shall we ダンス」、そして「それでもボクはやってない」などがある。
そして法制審の特別部会の委員に選ばれた。
その内容は「それでもボクは会議で闘う」に詳しく、周防監督のことは私のブログで何度も紹介させて頂いた。

この日、印象に残ったことを取り上げる。

それはまさしく映画監督ならではの眼!と感心したところでもある。

可視化ビデオは、ともすれば、そのビデオの中で「自白」していれば、その「自白」を真実と思ってしまう危険性がある。
周防監督は、まず、指摘する。
取調とは
<取調室という極めて特殊な環境で、そして閉ざされた密室で、そして取調官と被疑者という圧倒的な力関係の差のある中で、その中で、喋っている>
まずこのことを理解する必要がある、という。
全くその通りである。

そして重要なのは「人は見たいものしか見ない」
「見たいものを見る」
「そして何を見るかは、見る人の気持ちが大きい」と続ける。

更に映画監督らしく「モンタージュ理論」を説明する。
「モンタージュ理論」とは、同じモンタージュ(無表情写真)を見せるという実験から結論づけられた理論だが、」モンタージュの前に、交通事故など悲しい場面を見せていれば、そのモンタージュは「悲しい」顔に見え、逆に、幸せな場面の後だと、同じ無表情のモンタージュが、穏やかな顔に見えるという理論である。

これらからどういうことが導かれるかと言えば、人は、気付かずに外部に影響されて、そして、真実が見えにくくなる、ということである。

以上の事実をそれをふまえて、「視点」に切りこむのが、いかにも、映画監督らしく、全く気付かなかった鋭い指摘である。

どういうことか。
可視化ビデオは、取調官(検事、警察官)の視点から、被疑者に向けて、映されている。
映像は、被疑者の顔を映しだしている。

この映像自体が、どうしても取調官の視点になる。
つまり「この被疑者は、本当のことを喋っているのか…」

しかし、これは、本来の可視化の目的とは違う。
何故なら、可視化は捜査が適正な捜査が行われているかどうか、を監視すべきものであったはずだ。
とすれば、取調官の姿も映っていなくてはおかしい。

更に、人は「表情」に騙されることもある。

適正な捜査のチェック。
そうであれば、可視化のビデオは、取調官と被疑者が同等に撮影し(つまり両者を横から撮る)、そして表情の影響を受けないように、少し、カメラを引いて撮る。
このような可視化ビデオでないといけない、という。

実は、長時間にわたる9/17集会で、私が一番あっと驚き、強く教えれらたのは周防氏のこの部分でした。

なかなか誰も気付かないが、指摘されれば成る程と思う。
映画監督らしい鋭い視点である。



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by kazuo_okawa | 2016-09-19 09:03 | 出来事いろいろ | Trackback | Comments(0)