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by kazuo_okawa

選書と配架、そして東野圭吾「手紙」

11月5日の日経コラム「春秋」は実に興味深い。

とある図書館の、森鴎外の「雁」が鳥類図鑑のコーナーに、東野圭吾の「手紙」が「手紙の書き方」の棚にあったといったエピソードを紹介しつつ、図書館で大切なのは、選書と配架であり、そこがずさんではどんなに雰囲気が良くても値打ちは半減する、という内容である。

まさに同感であるが、これは図書館でなく、書店でも同じだろう。

私の行きつけのとある大きな書店は、かつては、囲碁、将棋、チェス、ゲーム、パズル、クイズ、マジックと順に書架に並んでいた。
私の趣味である「知的遊戯」の著作が整然と並んでおり、実に美しい。

しかし、ある時から、チェス、ゲーム、パズル、クイズ、マジックが大きく移動し、そこに「占い本」が取って代わった。
どうにも納得し得ない。
そもそも「占い」など、非合理の象徴であり、何十年か前には、「占い」とリンクさせて高額の商品を売りつける消費者問題を起こしたこともある。
そんなのが、囲碁、将棋の隣ですよ。

しかも、そもそも、将棋とチェスは(インドを発祥の地として)人類の文化史上「親戚同士」の遊技である。
これを離して置くセンスがわからない。
ゲームやパズルも同質の娯楽である。

ちなみにこの書店では、将棋本コーナーのど真ん中に、囲碁の本が平積みされ、しばらくそのままであったことがある。
一冊たまたま紛れ込んだというのではない。
しかも囲碁本と将棋本は、中身をパラぱらっとめくれば、囲碁と将棋の図式が出ていることから、普通、間違いようがない。
何故間違えたのかを考えると、本当に不思議なのである。

実は、前述の日経コラムは、新しい一冊に出会うのも本探しの楽しさであるとして、前述の間違った配架が、実は基本をしっかり押さえて上で、「そういう遊びを仕掛けられるか」と結んでいる。

東野圭吾の「手紙」が、「手紙の書き方」コーナーではなくて、「受刑者更生本」のコーナーにも並んでいたら、それはそれで凄いだろう。
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by kazuo_okawa | 2015-11-07 23:48 | 司法・ニュースその他 | Trackback | Comments(0)