東野圭吾「ラプラスの魔女」を読む
2015年 05月 16日
言うまでもなく題名は「ラプラスの悪魔」を想起させる。
理科系東野圭吾の真骨頂だろう。
そして作家デビュー30周年にして、80作目。
こう並べれば、ミステリファンなら否が応でも発売日が待ち遠しい。
そして新作を早速買う。
まず何よりも驚いたのは、ハードカバーでなく、軽装版だったことである。
東野圭吾クラスになれば、新作は、ハードカバーでも間違いなく売れるだろう。
にもかかわらず軽装版なのである。
そういえば東野は「いきなり文庫」を発行したこともある。
東野は、何か思うところがあって、このように読者の買いやすい設定にしたのだろう。
そこにまず驚く。
購入後、いつものように一気に読む。
発売日が金曜日なのは有り難い。
(土曜日に、「裁判」は無いからである)
…と、こう書いて、前作もそうだったなあと、驚く。
ひょっとすれば、これは偶然ではなくて、東野は意図して、「金曜発売」と決めているのか…!
さて作品である。
【以下、ネタバレしています】
出だしにヒロインにいきなり悲劇が起こる。
そして、章を変えて、ヒロインにまつわる偶然のエピソードが惹きつける。
これは「ラプラス」からしてある程度予測が出来るが、面白い。
続く第一の事件で、もう一方の「ラプラス」を登場させ、更に、物語の中心人物Aを不気味に登場させる。
この展開が、まさしく東野ならではの「巧みの技」である。
【もう一度書きます。以下、ネタバレしています】
実は、このAのブログがトリックなのである。
そしてそれは、本格ミステリで、ある種よくあるトリックといえば、その通りなのであり、実は、真相を知って一番悔しい点なのだが…。
まあ、見事に引っかけられる。
それは、物語の展開上、読者が真相を想像するのを、常に一歩先に作中人物に推理させることにより、大きな真相から目をそらすというテクニックにある。
これが実にうまい。
というわけで、Aのブログの意味を知ったとき大いに感心したものである。
更には、脳の意義、人間の攻撃性や親和性の仮説、渋谷スクランブル交差点を思わす下り、幾つも興味深い。
繰り返すが、東野圭吾は、実に巧みで、実にうまい。
そして何よりも、前作からわずかの期間に、読者の期待を裏切らない作品を、普通に提供するところが凄い。
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