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by kazuo_okawa

放射能汚染のない未来へ(その1)

10月2日、3日、日本弁護士連合会人権擁護大会が函館で開かれる。
シンポジウム第一分科会「北の大地から考える、放射能汚染のない未来へ」に参加する。
正午から午後6時40分までのロングランであるが、参加者数は1072名である。

第一部は「司法の責任」であり、法律家として一番興味深い。
伊方原発訴訟の最高裁判決の4つのポイントがあげられる。
1,許可制の趣旨は「災害が万が一にも起こらないようにするため」
2,判断基準は「現在の科学基準」
3,行政庁の「専門技術的裁量」を尊重
①審査基準が不合理
②審査過程に看過しがたい過誤欠陥があるか
4,判断の対象は「基本設計」部分に限られる。

私が長年担当してきた水俣病M氏訴訟の大阪高裁で逆転敗訴(後に更に最高裁で逆転)したときに引用されたのがこの伊方判決である。
私どもからすれば、およそ良い印象のないこの伊方最高裁判決であるが
本日のパネリストの一人、首藤重幸早大教授は
「この最高裁判決は、推進派、反対派の双方からも支持されている。それは、どうにでも判断出来るから」と評価されているのが、私には意外であった。

しかしながら、今後について、この最高裁判決の「枠組み」を維持しつつ、2011年フクシマ原発被害の前に画期的な判決を出した井戸判決に学ぶか、この伊方最高裁判決は、「立証の程度」については何も書いていないところを住民側に有利に解するなど、訴訟戦略上の今後の工夫が実務家としては面白い。

更に印象に残ったのは、ドイツの現状である。
現時点で、ドイツと日本では、ドイツの方がより強く規制している。
「危険」と「リスク」と「残余リスク」の三つに分ける。
どのような事態に対して規制するかの前提である。
危険とリスクと残余リスクと分けたとき、危険なものは規制する。
これは日本もそうである。
言い換えれば、危険と認められていない「リスク」だけの段階では、日本では、行政は何ら規制しない。
例えば、「ある煤煙」が何らかの「被害」を及ぼす「リスク」はあっても、因果関係のある「危険」と立証出来ていないと、日本では、企業に規制はしない。
しかし、ドイツではそうではない。
そういうリスク段階で先手を打って規制する。
無論、規制された企業には損失が生ずるから、それは「損失補償」として国民全体で、企業の損失を負担する。
もっとも、そういうリスク以外の「残余リスク」はそこは国民は我慢せよ、という考えである。
このように、日本とドイツでは、規制の範囲が違う。
にもかかわらず日本よりも厳しいドイツで、今や、「その残余リスクは放っていいのか」と議論されているという。

あまりの違いにも驚く。
我々は、我々の判断で原発再稼働を辞めなければならない。
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by kazuo_okawa | 2014-10-02 23:12 | 出来事いろいろ | Trackback | Comments(0)