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by kazuo_okawa

飯塚事件~改めて証拠は誰のものか

ニュースによれば、
1992年、福岡県飯塚市で小学生の女児2人が殺害された「飯塚事件」で、元死刑囚の遺族らが求めていた再審について、福岡地裁(平塚浩司裁判長)は3月31日に、再審を認めない決定をした。

この事件では逮捕された久間三千年元死刑囚は捜査以来一貫して無実を訴えていたが、有罪の死刑判決が確定し、なんと、2008年に死刑が執行された。

久間元死刑囚の遺族らは2009年、裁判所に再審を請求し、有罪の大きな根拠となった当時のDNA型鑑定に証拠能力はないなどと訴えていた。
すなわち、被害者に付着した「犯人の血痕」のDNA鑑定の信用性については、2010年に再審無罪が確定した「足利事件」とほぼ同時期に、同じ警察庁科学警察研究所が実施したものであり、まあ言ってみれば、技術が未熟な古い時期の鑑定なのである。

足利事件では、有罪の決め手となったDNA鑑定が、その後の科学技術の進歩により、逆に無罪の決め手となった。
真犯人の残した遺留物と、被告人のDNAが一致しなければそれは無罪の決め手となる。
飯塚事件でも同様に再審決定がなされ、無罪になるものと思われた。

ところが3月31日、裁判所は裁判のやり直しを認めないという決定を弁護団に通知した。理由について、「このDNA型鑑定を除いた場合でも、久間元死刑囚が犯人であることは高度に立証されている」などと説明している。

信じられない決定である。
この事件については弁護団の一人である石塚伸一龍谷大学教授から、私は聞いていた。
石塚教授は私がお世話になっている学者の一人である。

この事件は直接の物証はDNA鑑定だけであり、他の目撃証言などはあいまいであり、間接証拠はいずれもそれだけでは真犯人と示すことは出来ないものであった。
それゆえDNA鑑定が重要であった。
にもかかわらず、今回、福岡地裁は,DNA鑑定抜きでも犯人である、と理由付けているが全く肩すかしであり、「始めに結論ありき」の決定としか思えない。
おそらく裁判長は、冤罪被害者を死刑執行したとあっては死刑制度の存続その他大きな影響を及ぼすと考えたに違いない。

つい先日の、袴田事件における村山浩昭裁判長の勇気ある決定とは天地の差がある決定である。

そもそも本件も、足利事件のように、新たにDNA鑑定をするのが本来であろうが、飯塚事件は、足利事件と違って、それが出来ない。
まず犯人の遺留物は鑑定に全て使ってしまったため残っていない(と捜査側は述べている)。
そして元被告人は死刑執行されたためこの世に存しない。
従って、足利事件のように新たなDNA鑑定はしようにも出来ないのである。

しかし、このような事態そのものがおかしくはないだろうか。

石塚伸一教授は「再鑑定できないようなものは科学的鑑定と言えない」と鋭く指摘している。

そもそも、犯人の遺留物という重大な証拠は、疑われている被疑者・被告人を有罪にするかもしれないが、逆に、無罪にするかもしれないのである。
そのような重大な証拠を、捜査側が勝手に利用して、そして、勝手に使い切って良いというものではないはずである。

3月19日に「証拠は誰のものか」というブログを書いたが、
証拠は、決して捜査側のものではない。
被疑者・被告人を含む全ての人のものである。
それをあたかも証拠は捜査側のものであると思いこんでいる捜査側が、
再鑑定出来ないようにすることは、石塚教授指摘のとおり「科学的鑑定でない」
というだけではない。

再鑑定を出来なくしていることは、再鑑定による新たな証明を「妨害」するものであり、実は、そのこと自体が犯罪的なのである。

証拠は決して、捜査側のものではない。
by kazuo_okawa | 2014-04-01 23:08 | 司法・ニュースその他 | Trackback | Comments(0)