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by kazuo_okawa

郷原宏「日本推理小説論争史」を買う~何故、論争を避けるのか

郷原氏は私の好きな、ミステリ評論家の一人である。
同氏の新著を書店で目にして、ノータイムで購入した。

氏は、文壇における論争が無くなったこと
そして氏のフィールドである推理小説界でも、
かつてあった論争が近時、無くなった事を指摘する。
御原氏は、ある意味でこのような状況を憂い
適切な論争を期待して、
過去の推理小説界の論争をまとめたのが本書である。

実は、この内の、1章、3章は私が京大推理小説研究会時代に
同時代的に楽しんだ論争であり、非常に懐かしくあると共に
私自身も、色々と論じたい分野であるが、それは、また別の機会に譲る。

私が、改めて感じたの、論争を避ける、というのは
我が法曹界でも生じているのではないか、との危惧である。

かつて私が弁護士成り立ての頃の(私が参加した)弁護団会議は
激烈な論争が有りながらも、それが終わり、みんなで食事にでも行くと
一転してにこやかに談笑する姿を見てきた。

意見は違っても、意見を言う相手自体は尊重する。
弁護士たる者かくあるべしと、身をもって教わってきた。

しかし、近時、どうだろうか。
違う意見を言うと、あたかも人間性を否定されたかのように過剰な反応をする。
そう人が増えている。
しかも、弁護士でも、そういう人物に遭遇し、いささか驚いたものである。

こういう人が一人でもいると、議論は変な緊張を生む。
それ故か、互いに、反対意見を避ける(論争を避ける)というのが
増えているのでは無いかと、実は、気になっていた。

その状況下での本書郷原作品である。

私はこの著を手にして、文壇でも、推理小説界でも、
法曹界でも(ということは他の世界でも)
言わば、世間一般に、論争を避ける風潮があるのではないかと、
思ったものである。

改めて言うまでもないであろう。
適切な論争は、必要である。
むしろ民主主義社会はそういう論争を
当然の前提としているとすらいえる。

「私は、あなたの意見には反対だが、
あなたがそれ言う自由は守る」という有名な言葉もある。

どんなに激烈な論争に見えても、それは、意見の論争に過ぎない。
そういう意見の論争を避けるとあっては
もはや民主主義社会と言えない。

論争を避ける風潮に、私は、今の日本の
民主主義社会の危うさを感ずる。
by kazuo_okawa | 2013-10-29 00:15 | ミステリ | Trackback | Comments(0)