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by kazuo_okawa

受刑者選挙権訴訟~弁護団声明

既に報道されているように
受刑者の選挙権を剥奪している現行公選法が
憲法違反であると大阪高裁判決は指摘した。
結論は棄却であるため、我々は上告することも出来たが
司法としての結論は出たとも考えられるので
あとは政治的解決を目指すべきと考え
上告はしないことにした。
そして弁護団声明を発表しましたので
下記の通り掲載します。



受刑者選挙権剥奪訴訟・弁護団声明

2013年10月11日
1 はじめに
大阪高裁第1民事部は,2013年9月27日,受刑者の選挙権を剥奪する公職選挙法11条1項2号が,憲法15条1項及び3項,43条1項並びに44条ただし書に違反するとの画期的判決を言い渡した。弁護団は,受刑者の選挙権を尊重した本判決を高く評価するとともに,この画期的判決に対しては上告をしない。国には上告の利益がないため,本判決は確定する。
憲法98条1項は,憲法に反する法律は,効力を有しないと定める。公選法11条1項2号が違憲無効であることは,本判決の確定により明らかになった。国会は,速やかに公選法11条1項2号を削除し,受刑者の選挙権行使のために必要な規定を設ける改正を行わなければならない。

2 本訴訟と憲法前文
戦前より,日本国は受刑者の公民権を剥奪してきた。天皇主権の大日本帝国憲法下では,思想・表現の自由すらなく,政府と異なる政治的意見を表明した者は次々と投獄され,夥しい数の政治犯が拷問死・獄死した。そして社会は硬直化し,戦争による多大な犠牲の末,敗戦に至った。そのような社会では,受刑者の公民権が顧みられること自体なかった。
敗戦後の1946年,国民主権,平和主義を掲げる日本国憲法が制定され,思想・表現の自由も認められた。憲法前文は,「日本国民は、正当に選挙された国会における代表者を通じて行動し」「政府の行為によつて再び戦争の惨禍が起ることのないやうにすることを決意」するとしている。これは,戦前の反省を踏まえ,統治の影響を受ける者は統治者を選ぶ権利を持たなければならないこと,戦争について政府を批判した者が投獄され受刑者として選挙権を奪われてしまうことを再び繰り返さない旨を表明したのである。
その4年後の1950年,公選法は制定された。公選法は,特段の議論もなく,戦前と同様,受刑者の選挙権を剥奪した。人々は,日本国憲法により,思想や表現それ自体を理由に投獄されることはなくなったものの,公選法により,ひとたび投獄されれば,いかなる政治的意見を持っていたとしても,統治者を選ぶ権利を持たないこととなった。受刑者の選挙権の剥奪は,憲法前文との関係でこうした重大な問題を孕んでおり,本訴訟で弁護団が強く主張したのも,この点であった。
しかし大阪地裁は,弁護団の上記主張を,主張としてさえ一切取り上げなかった。弁護団が大阪地裁の姿勢を強く批判したところ,大阪高裁は主張として取り上げ,判決に明示した。この違いが,後の違憲判断につながっていったものと自負している。

3 本判決の画期的意義
2005年9月14日,最高裁大法廷は,国民主権原理による国民の固有の権利である選挙権を制限するには,やむを得ない事由が必要であるという厳格な違憲審査基準を適用し,在外国民の選挙権行使を認めていない公選法の規定を違憲とした。この厳格な審査基準は,選挙権一般に妥当する極めて重要なものであり,弁護団も,本訴訟での適用を求めた。
大阪地裁は,選挙権の欠格条項は選挙権の行使の制限とは異なるという不可解な理由でこの基準を採用しなかったが,大阪高裁は,この基準を全面的に採用した。そして,国や一審判決が述べる受刑者の公民権の制約根拠についてひとつ一つ丁寧な検討を加え,結局,これまで当然視されてきた受刑者の選挙権剥奪に,やむを得ない理由など実際には何もないことを明らかにした。実に画期的な判決である。
2000年代に入り,カナダ,南アフリカ,英国,ロシアについて,受刑者の選挙権制限が違憲又は自由権規約違反であるとの裁判所等の判断が相次いでいる。また,本判決に先立つ本年3月14日,東京地裁は,2005年最判を引用し,成年被後見人に選挙権を認めない公選法の規定を違憲とする判決を下した。これら国内外の判決もまた,本件判決の追い風となったはずである。

4 本判決は日本国民に反省を迫るものであること
本判決も述べるように,公選法制定後現在までの63年間,公選法11条1項2号の合憲性についての議論は,極めて低調であった。国会,行政,司法,マスコミ,市民の間で議論されることはほとんどなく,憲法学会でも合憲説が多数であり,多くは教科書で数行程度触れるだけであった。
本訴訟の契機は,元受刑者の,「自分は判決で刑務作業を命じられただけなのに,なぜ選挙権まで剥奪されなければならないのか」という実に素朴な,そして本質的な懐疑である。彼は,日雇労働者の街・釜ヶ崎で,1970年代より労働運動を始め,1979年からは4年に1度,欠かさず大阪市議選に立候補し,釜ヶ崎に初めて選挙の風を吹かせた,公民権の大切さを最もよく知る人物である。今回の受刑に至った理由も,日雇労働者が警察官から暴行を受けたため,警察署に抗議活動をし,道交法違反で逮捕されたというもので,公民としての活動の一部であった。常に公民として活動し,政治的意思を表明してきた彼が,懲役刑により選挙権を奪われたことの深刻さは想像に難くない。
彼が受刑した当時である2010年の受刑者数(1日平均収容人員)は,6万4998人である(法務省矯正統計)。これまでの毎回の国政・地方選挙において,これだけの規模の選挙権が剥奪されてきたのである。統治の影響を一般人よりも強く受ける受刑者の意向が,もしも統治者選定に反映されていれば,現在の日本国は,社会から排除された者に優しいまなざしが向けられる社会だったかもしれない。我々は,誰にも顧みられることなく,当然のように失われてきたこれら一票に思いを馳せ,過去の等閑視を真摯に反省すべきであろう。
以上


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by kazuo_okawa | 2013-10-14 13:23 | 司法・ニュースその他 | Trackback | Comments(0)